閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1021 虎と鮪

 過日、久しぶりに某所の立呑屋へ、足を運んだ。私にしては少し遅れた時間帯で、自分の場所はうまく取れた。紅茶ハイ(甲類の無糖紅茶割り)を呑み、お店のママさんと、顔を知る常聯さんに、どうも御無沙汰してゐますと挨拶をした。隣のお嬢さんが、二種の[十四代]を呑みつくらして、香りや舌触り…味はひのちがひが面白いと云つてゐた。三種のお摘みを樂んでゐたら、ママさんが

 「けふは鮪のぶつがありますよ」

突然に云ひ出した。ママさんがさう云ふ時は、食べますよねといふ無言の確認を兼ねてゐる。煮炊きと焼きが主なお店なので、鮪があるのは珍しい。それにここの肴は信用出來る。食べない手はあるまい。

 出てきた器には、赤身ととろが乗つてゐた。贅沢だなあ。折角だからお酒を呑むとした。足元の冷藏庫を覗いて、旨さうな感じの一本を撰んだ。出羽のお酒…銘柄は失念した…だから、まづい筈はあるまい。さう思つてゆつくり含むと、果してうまい。虎柄に似合はず、香りはすすどくて軽やか。舌から喉の奥まで、すつと流れ落ちたのが印象的であつた。ひとによつては、辛くちに感じられるだらうな。ころころ悦んで鮪を摘むと、まつたく相性がよろしい。赤身の方が美味いと思はれたけれど、この辺りは脂身の旨さをどう評価するかに掛つてゐる。なので若い胃袋を持つ讀者諸嬢諸氏が、とろを喜んでも不思議には思はない。

 虎と鮪を平らげてから、常聯の小母さんから、漬けてゐる梅干しをひと粒、紫蘇と一緒に頒けてもらつた。

 「まだ漬け込みが足りないから、塩つぽい」

註釈が入つたとほりで、叉果肉も未だ堅かつたけれど、十分な時間を経れば、酸つぱくて少ししよつぱくて、やはらかくて…詰り美味い梅干しに仕上るのは、疑ひの余地がない。その梅干しで、口を変へつつ、虎と鮪と煮炊きものをやつつけたら、呑み喰ひの快感も極まるだらう。