閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1092 コンセプトはきらひ

 先般、[まつたく悩ましい]の稿で、マイクロフォーサーズ規格の機種に対する不平不満、愚痴を書いた。書いてから、暫く…といふより、長く使つてゐない手持ちの機種を頭に浮べて、何となく申し訳ない心持ちになつた。

 旧式の機種だから使へないわけではない。電池が駄目になつてゐたり、経年劣化を起してゐなければだけれど、当てにならない経験則で云へば、十年くらゐ前の機種なら、致命的な不便は生じない。

 それで手元に、パナソニックのGF3があつたのを思ひ出した。發賣は平成廿三年。十三年前に遡る。尤も手に入れたのはもつと後のこと。後継機が出て、その後継機も生産が終つて、廉になつた中古品を贖つた。この手帖でも以前、何度か触れた記憶がある。

 片附けてあつたGF3を取り出し、眺めた。高さがほぼ、マイクロフォーサーズ規格のマウント径に等しい。内藏フラッシュにも、そのマウントと同じ曲線が施され、獨特の形状をしてゐる。惡くない。パナソニック

 「小振りに感じられる外観」

を意識したのは間違ひない。叉それが本格的な"冩眞撮影"ではなく、普段使ふ鞄の隅に収め、気が向いた時にちよつと撮れ、然も冩りは、コンパクト・デジタルカメラに勝る…といふ目的であつたことも。コンセプトといふ言葉はきらひだけれど、このGF3に関してなら、その単語は当て嵌まるし、誤りではなかつたとも云へる。

 尤も凝つたことは出來ない。いや出來なくはないが、恐ろしく面倒だから、出來ないのと同じであり、結局は余程でない限り、優秀な自動制御に任せて使ふことになる。尤もそれで格段の問題が起こるわけではない。

 「凝りたければ、当社の別機種をどうぞ」

パナソニックは考へてゐたに相違なく、だとすればGF3のコンセプト(また使つてしまつた)は、この手の機械には珍しいくらゐ、単目的的だつたと考へられる。勿論ここで、仮にもレンズ交換が可能な機種で、そこまで割りきるのは如何なものかとする批判は成り立つ。併し後継の機種が出たのも、一方の事實であつて、詰りさういふ機種を慾してゐた層があつたと見る方が、この際正しからうと思はれる。

 ここまで考へ、一応の得心がいつたので、GF3を持ち出してみることにした。入手した当時は、オリンパスのボディキャップ・レンズを附けたが、そこまで再現する気にはなれない。そこでパナソニックのショート・ズームレンズであるG VARIO 1:3.5-5.5/12-32 ASPH. Φ37 MEGA O.I.S.(レンズ前面の文字を書き冩した)を附けた。沈胴式だから、使はない時は實にコンパクトになる。

 撮る積りで持ち構へると、意外に掴みにくい。ことに背面の幅に余裕がなく、拇ゆびが液晶画面に当りさうになる。叉しつかり持たうとしたら、その指が意図せずダイヤルを廻しさうにもなる。MEGA O.I.S.、詰り手振れ補正を内藏したレンズなのに、両手できちんと持たなければ、知らず設定がをかしくなりかねない。コンセプト(三度目の使用)は正しかつたが、洗練が不足してゐたといふことか。

 それでも致命的な使ひ辛さではなく、G VARIO(以下省略)レンズも、私が撮る分には特に文句はない。ズームの倍率は三倍に満たないひくさであるが、画角の変化が、ぼんやり眺める辺りから、目を細めて注視する程度までなのは、寧ろ具合がよろしい。但し率直なところ、今から主力的に扱へるだけの力があるとは云へない。一方でGRⅢを持ち出す時、予備として鞄の隅に入れるなら、現在の時点でも有用であらう。などと云つたら、パナソニックのひとから、それはコンセプト(また使つてしまつた)から外れると抗議されるだらうか。