閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

730 戻るべし

 何の雑誌で目にしたか、植田正治が愛用だか常用するカメラに、ペンタックスMZ-3を挙げた記事があつた。ペンタックスの特集號だつたから、その辺りの事情はあつたのだなと思ふが、そこは措く。大事なのは、わたしが植田正治のファンといふことで、その植田が使つてゐたのだ。MZ-3はいいカメラだつたにちがひない。安直と呆れてはいけない。痺れるとはかういふ心理を指すのです。

 

 尤もMZ-3…MZを出すまで、正確にはSFXでオート・フォーカス一眼レフに参入したペンタックスは、Zを経てMZに辿り着くまで、ペンタックスは迷走に迷走を重ねてゐた。機能の面は兎も角、スタイリングが絶望的な酷さで、どうすればゴー・サインを出せたのか、不思議でならない。

 今にして思へば、SFXとZの失敗で、ペンタックスにはオート・フォーカス一眼レフから撤退する撰択…あすこには中判があつたから…もあり得たと思へる。それでも續けると決めたのは、商賣としての魅力は当然として、ライカの模倣品に手を出さず、最初から一眼レフを造つてきた意地もあつたものだらうか。

 当時の一眼レフの流行は、"手に優しい自由曲面を使つたエルゴノミック・デザイン"が流行で、上手くこなしたのがキヤノンミノルタニコンは中庸(褒められるものではなかつた)、そしてしつこいがペンタックスは失敗した。

 「これぢやあ、駄目だ」

 「基本に戻るべし」

會議で怒號が飛び交つたかどうか。そこはさて措き、かれらが参考にしたのは、自社のMEだつたと思へる。オリンパスOM-1(当時としては劃期的に小振りな一眼レフ)に対抗して出した絞り優先自動露光専用、軽快で簡潔な機種で、ちよつとした流行の端緒にもなつた。同時期に機械制禦のMXも出してゐて、そちらも含めていいか。

 奇を衒はない。

 小さくて軽い。

 何度も開かれただらう會議を経て、そこに落し込んたのは英断だつたと云へる。いや實際がどんな様子だつたかまでは知らないが、おほむねは想像と大してちがふまい。それで出したのがMZ-5だつた。

 「昔の一眼レフに、自動化を組み入れて、プラスチックを纏はせたやうな」

機種だなあといふのが第一印象。前機種のZに較べ、随分とスマートになつたとも思つた。特段の機能を組み入れなかつたのだから、当り前の話である。それで使ふのに不安や困難は感じなかつた。如何にも経験談的に云ふのは、使つた時期があつたからである。

 

 そのMZ-5を改良したのがMZ-3で、やつと辿り着けた。ぱつと見はほぼ同じ。シャッターの最高速を一段上げたのと、操作部位の大きさを見直したのがちがひか。他にも変更点はある筈だが知らない。気になるひとは調べてごらんなさい。ぱつと見がほぼ同じだから、所謂"高級感"は丸で無い。だから駄目だと云ふのではなく、ペンタックスは元から

 「そこそこ廉で、使ひ勝手のよい、大衆の冩眞機」

を造る會社である。たれがどこに持ち出しても、不釣合ひにならないありふれた姿は、寧ろ好もしい。

 ほんの少しマニヤじみたことを云ふと、ペンタックス・レンズのKマウントには、自動露光やオート・フォーカスへの対応で、幾つかの世代がある。格附けが下の機種だと、同時期の現行またはその一世代前までしか使へないが、MZ-3はその辺りを流石に考へてあつて、一ばん古いKマウントにも対応してゐる。といふことは、一枚のアダプタで、更に古いM42ねぢマウント・レンズ…タクマーは勿論、フジノンやツァイス、ソヴェトのレンズまで使へるのだ。M42が(短期間ではあつたが)一眼レフの標準規格だつたと思ふと、MZ-3で遊べるレンズの数は存外なほど多いのが判る。

 いや勿論それは本道と呼べませんよ。寧ろ厭みと云はれるだらう。だから本道と呼ばないが、その気になれば…いつやつてくるのだらうなあ…クラッシックなレンズで訳知り顔を気取れる"可能性を持つてゐる"と思へるのは、愉快ではないか。序でにその後、麦酒の一ぱいもやつつければ文句はなく、いやかう云ふと、眞面目なペンタックスの愛好家は

 「それは基本に立ち戻る態度とは呼べないかなあ」

苦笑ひを浮べるにちがひない。わたしもその通りですなと苦笑を返す。實際問題、さういふ使ひ方なら、LXを手に入れるのが望ましいと云へる。MZ-3ならさうだなあ、標準レンズにシグマかタムロンの暗いズーム・レンズを組合せて、ぶらぶら暢気に、一枚づつ撮るのが宜しからう。銀塩冩眞機が事實上滅んだ現在、贅沢の樂みと呼べる。またそれを(背景は兎も角)、冩眞を撮るのが特別だつた頃へ立ち戻つた、と見立てても無理やりと非難されはすまい。そこに皮肉を感じなくもない、と云つたら冷笑的に過ぎると咜られるかも知れないけれど。

 

 後になつて知つたことをひとつ。

 植田正治ペンタックスのファンだつたさうだ。