閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

750 頻度

 手元にあるズーム・レンズは、Kマウントのマニュアル・フォーカス(トキナー製28-105ミリ)と、マイクロフォーサーズ(パナソニック製14-45ミリ)の二本である。どちらも使ふ頻度は極端に低い…かう書いたら、膝を叩いて

 「すりやあ、さうさ。ズーム・レンズなんて、邪道だもの」

と聲高く叫ぶひとが出るだらうか。その邪道派諸氏は多分、被冩体との距離は自分の足でどうにかすべきと主張だらう。もしかすると、ブレッソン木村伊兵衛の名前を出されるかも知れない。

 併しわたしはその見方に与しない。あのふたりの時代、常用に足るズーム・レンズは存在しなかつた。晩年の木村は、ライカフレックスにアンジェニューのズーム・レンズを附けたらしいとも加へておかう。更にスナップといふ"特殊な冩眞術"の中で、ズーム・レンズの位置附けを決めるのは妙な話で、仮に成り立つとしても、森山大道の名前を挙げれば、反論にならう。

 

 改めてズーム・レンズはまつたく便利である。たとへば旅行にあたつて荷物を減らすなら、上に挙げたくらゐのレンズを撰ぶのは間違ひない。

 「いやでも冩りがねえ」

溜め息をつかれても、わたしの腕なら別に問題にはならず、寧ろ色々と撮り易い"可能性"を持ち歩ける方が、こちらにとつては有難い。だつたら何故

 「便利で冩りに問題を感じないズーム・レンズを常用しないんですか」

さう詰め寄るひともゐるだらう。尤もである。理由はある。

 第一に大きく重い。

 第二にはカメラに附けた時の姿が惡い。

 最後に旅行のやうな場合でもなければ、多くは28ミリ一本があれば平気だからで、焦点距離を変動出來る利便性は、この三点に及ばない。裏を返すと小さく軽く、カメラに附けても不恰好な姿にならないズーム・レンズだつたら、常用したくなると思ふ。

 

 なので弾みがあつたら、ふとズーム・レンズが慾しくなる瞬間がある。

 

 歴史は淺い。ざつと確めた限り、昭和卅年代半ばに、フォクトレンダー社が出したズーマーが最初らしい。画像で見たことがあるが、現代の目で云へば、不必要に大きく、また不恰好なレンズである。

 評価としては正しくない。

 詳しくは知らないが、レンズの設計はおそろしく面倒だといふ。乱暴に云へば、一枚二面の硝子をどう削るか…詰り歪曲だの何だのを減らしつつ、フヰルム面に結像さす為に…が設計で、三枚なら六面、五枚なら十面、考へねばならない。今は電子計算機(と古めかしい言葉を使はう)が發達してゐるから、ソフトウェアを扱へれば、設計の眞似事は一応、出來るさうだ。うまくゆくとは限らないし、躓いたら終りらしいけれども。

 併し殆ど七十年前の当時、それは計算尺や算盤で一面一面の適切な値を弾き出す手作業だつた。一本の設計に何十人かが何ヵ月かを掛けた計算を求められたわけで、その時期に

 「焦点距離が変動するレンズを作らう」

と目論む方が寧ろ、をかしい。因みにズーマーで使はれたレンズは十四枚。廿八面分(!)もの計算が必要だつた。國士無双どころの話ではなく、わたしが計算の担当だつたら三日で逃げてゐただらうな。

 

 そのズーマーを、最初に評価した人物がたれなのかは判らない。好事家でなければ、スナップではない"特殊な撮影"に従事したひとであつたか。焦点距離が36-82ミリだから、スポーツの類は無理だつたらう。動きにくい場所で撮らざるを得ない、報道絡みの人びとが目を附けたとは考へられる。

 いや怪しい推測だな。

 と云ふのも、フォクトレンダー・ウント・ゾーネは、アマチュアの数寄ものが喜ぶカメラ…たとへばヴィテッサ…を造るのが得意な會社だつたから(往年の愛好家から咜られるか知ら)、職業的な冩眞家の目にはとまらなかつたか、ふーん成る程で済まされた可能性の方が高い。

 「次代は、ズーム・レンズが中心になる(かも知れない)」

他社の技術者が目敏く気がついた、と想像する方が寧ろしつくりくる。ここで話を脹らますと、陸續きのヨーロッパ各國では、新しい思想や技術が相互に、また速やかに伝播し、変化…發展もした。隋唐文明と倭國の関係が一方的で、時に歯軋りしたくなるほどおつとりしてゐたのと、實に対照的だと思はれてならないのだが、踏み込むのは止めておかう。

 

 単勝点レンズ派にも云ひ分はある。

 その筈である。

 その云ひ分には一理も二理もある。

 その筈である。

 わたしは公平を旨とする男だから、その点に目を瞑る積りは無い。そもそもわたしだつて、28ミリが主力だもの。

 併しそのこととは別に、ズーマー以降、ズーム・レンズは賣れ續け、造られ續けもした。

 「(撮影のテクニックとしての)理窟は横に置いて、便利だから、いいぢやあないか」

といふユーザの気分は大きくまた強くもあつたらうし、メーカはメーカで

 「我が社のテクノロジを御覧じろ」

そんな気分があつたのではないかと思へる。相乗作用と呼ぶのが適切かどうかは別に、ズーム・レンズはさうして發達してきたと云つていい。主に高倍率化と大口径化の方向で。詰りそれは、"大きく重く"なるのとほぼ同じでもあつた。

 

 何かに似てゐる…と首を傾げるまでもなく、カメラの本体が高機能化と新機能の採用で、"大きく重く"なつた(またそれが止む事を得ないとも思はれてゐた)ある時期に似てゐる。さうなると、本体で起きた大きさと重さへの反省と反發が、ズーム・レンズでも起きるのではないかと推測(或は期待)したくなる。28ミリ・レンズ一本分の大きさと重さ、それで24-70ミリ且つF5.6くらゐ(わたしは大口径レンズに然程の値うちを感じない)のズーム・レンズが出てくれば、(少くともわたしの)使用頻度が跳ねあがるのは間違ひない。尤もメーカは、そんなんぢやあ商賣にならないと頭を抱へるだらうけれど。