閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1093 玉子焼で一ぱい

 以前から幾度も触れてゐることを、気にせず云ふ。数多ある玉子料理の中で、私は玉子焼を甚だこのむ。何の変哲もなくて、あまくないやつ。

 お味噌汁とごはん、少しの野沢菜漬けがあれば、立派な一汁一菜が出來上がる。お味噌汁とごはんと野沢菜漬けを、大根おろしと葱と薑にすれば、立派な肴である。

 

 尊敬する丸谷才一は随筆で、朝食のおかずと晩酌の肴は、厳かな円環を描かねばならぬ(だつたか)と書いてゐた。冗談半分だと思ひはするが、旅館の朝めしに出る鯵の干物は、麦酒の摘みにもなると思へば、間違ひとも云ひにくい。であれば、我が玉子焼も、その厳かな円環を成すひとつであらう。蕎麦屋の出汁巻き玉子があるのだ、屁理窟と云はれまい。

 その玉子焼は、いつ頃から、我われの食卓や酒席のお馴染みとなつたのだらう。玉子を用ゐた料理が、遅くとも江戸期の半ば以降までに様々あつたのは、百珍を挙げれば判る。尤もあすこに載つてゐるのは、全部ではないにせよ、料理屋の藝指南の色がある。詰り玉子料理は、下層民が当り前に食べられる位置附けではなかつた、と見る方が正しいと思ふ。

 玉子焼に戻すと、出汁巻き風のふはふはした仕立ては、あまり好まない。どちらかと云へば、薄焼き玉子をくるくる巻いたやうな、ちよいと堅めのが嬉しい。これは要するに、幼い時分に食べ馴れたからである。味つけ海苔を巻いた俵のおにぎりと、鰈の煮つけが一緒だつたと思ふが、都合よく記憶を改竄してゐるかも知れない。

 肴にするのを覚えたのは、蕎麦屋で呑むのを知つてからのことで、ニューナンブの頴娃君に教へられた。確かに冷や一合を横に置いて、ちよつとづつ含みながら摘む玉子焼はうまい。併し蕎麦屋で冷やと玉子焼、後からざるの一枚も註文したら、二千円くらゐは掛かる。それにかういふのは、ゆるゆる樂むのが本道だから、お金以上に時間が掛かる。まこと贅沢であつて、まつたく迷惑な話でもある。なので最近は、馴染みの呑み屋で、註文してゐる。玉子焼はホッピーや焼酎ハイにも似合ふのである。