閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

368 辛子を食べるうまい方法

 普段は殆ど使はない調味料…いや香辛料が正しいのか、まあどちらでもいいが、わたしの場合は辛子である。といふより、どこで使へばいいのかよく判らない。何年前になるのか八丈島料理だつたかの呑み屋で島寿司を食べた時、山葵ではなく辛子だつたのは驚いた。さう云へば八丈島に流されたたれかが、この島では旨い魚が幾らでも獲れるのに山葵が無いと嘆いたといふから、早鮓に辛子を用ゐるのがあの島の流儀なのだらう。辛子を忍ばせた八丈島流の早鮓は、中々うまかつたと記憶してゐる。

 さういふ偶然は兎も角、自分から辛子を慾することは滅多に無い。焼賣か豚饅を食べる時くらゐではないだらうか。おでんにもとんかつにも、冷し中華にも、積極的に辛子は用ゐず、まして早鮓やお刺身なら、八丈の島民には申し訳ないが、矢張り山葵でなくてはなるまい。同じ辛子族で云へば、マスタードはまだ使ふ。ソーセイジには欠かせないと思へるからで、厚く切つたベーコンやハムにも慾しい。辛子は代りに使へるのだらうか。試したことが無いので、何とも云へないが、豚肉や牛肉の味噌漬けなら似合ひさうに思はれる。

 八丈島の島寿司は例外として…山葵が入手出來ない窮余の一策である…考へを進めれば、辛子乃至マスタードが適ふのは獸肉であらう。それも簡潔に切つて焼いたのではなく、塩漬けにしたり、氷雪に曝したり、長々と煮込んだりした獸肉に適ひさうである。それで思ひ出すのは豚の角煮やもつの煮込みで、あのお椀の縁には辛子の色が慾しい。

 漬けたり晒したり煮込んだりすると、その獸肉の味は篭り、また凝縮されもして、それは濃厚と呼んでも諄いと感じてもいいのだが、辛子はそこに一本のふとい筋を通す。焼いて蒸してどうとかしても、魚肉だとそのふとやかな一本筋にはどうしたつて脆弱で、云つておくが良し惡しの話ではない。さういふ場合には山葵があつて、獸肉に山葵をあはすなら、しやぶしやぶ式の薄切りで焼かないと活きてこない。そんな詰らない獸肉の食べ方もないだらう。角煮だのもつ煮だのといふ僅かな例を別にすれば、我われは未だ、辛子の味はひ方を掌に入れてゐないのかも知れない。

 もうひとつ例外を思ひ出した。天神橋筋七丁目にあつた[たこ半]といふ店で出してゐた鮪かつがそれで、赤身のぶつ切りの串揚げである。揚げもののしつつこさと赤身の淡泊、衣の揚り具合と鮪のやはらかさが渾然となつた、ややこしい摘みもので、これは辛子が似合つた。八丈の島寿司に並ぶとも思へるが、今は店自体が無くなつた。確めるすべを持てないのが残念でならない。