閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

815 基点

 旧式のカメラ好きにとつて、ライカ判の"標準"レンズと云へば五十ミリである。尤もその五十ミリが"標準"になつたのは偶然らしい。オスカー・バルナックが試作したカメラ(後のライカ)は何台かあるが、ツァイスの五十ミリを使つたのが切つ掛けといふ説がある。当時のエルンスト・ライツ社はカメラ用のレンズを作る技術がなかつたから、バルナックが趣味のカメラを作らうとする時に、私物を転用したものか。

 ぢやあツァイスが五十ミリを作つてゐたのは何故だらうとなつて、どうも映画用のカメラまで遡れるらしく…いやそこまではおれの手に余る。要するに偶然が重つた結果、五十ミリが"標準"レンズの坐を得てしまつたと考へればいい。兄弟親族が死んで、王位を継いだ冷飯喰ひの王子のやうだと云つたら、どこかから烈しく非難されるだらうな。出來のよくない譬へなのは、大きに認めるところだけれど。

 さて。その五十ミリを"標準"レンズと呼ぶのに、おれは抵抗がある。最初のカメラ(キヤノンのEOS…勿論フヰルム式。今の若ものには信じ難からうね…である)に附いてゐたのが、卅五ミリから八十ミリのズーム・レンズだつたからだらうと思つてゐる。それに素人には望遠志向があつて、おれが續いて買つたのは望遠系のズーム・レンズ。確か初めての単勝点はシグマの四百ミリだつた。さう云へばあの四百ミリは賣つた記憶もないのに、どこかに消えてしまつた。

 妙な方向に進みさうだな。

 強引に話を戻すとおれは、五十ミリを"標準"レンズと實感した記憶がない。書籍的な知識でさうなのだとは判つてゐたが、たとへばニコンのF3を使つてゐた頃は、卅五ミリと五十五ミリのマイクロ・レンズだつた。キヤノンPにはコシナの卅五ミリ。例外はコンタックスRXに附けたプラナーと、リコーのXRに用意したペンタックスMくらゐ。デジタル・カメラに移つてからは、廿八ミリ(相当の画角)が主力になつてゐる。但しそれで、廿八ミリがおれの"標準"レンズなのかと云ふと、それはちよいと違ふ気がする。

 だつたらおれ(にとつて)の廿八ミリは何と呼べばいいかと考へるに、"基点"レンズとするのが適切ではないかと思はれる。あの画角は体感的に、世界を曖昧に見てゐるくらゐの、云はばナチュラルな感じがする。もつと広く、或はもつと注視したければ、意図した画角が必要で(たとへば六十ミリ)、さう考へると、我ながら"基点"レンズは惡くない云ひまはしに思へてくるから、勝手なものです。我がカメラ好きの讀者諸嬢諸氏にもきつと、それぞれの"基点"になるレンズがある筈で、それは何ミリだらうか。分布図があつたら、一度見てみたいものだ。