閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

435 不要不急の八高線

 この稿を書いてゐる今、巷間では肺炎の噂が八釜しい。こちらは元が極端な出無精だから、大して気に留めてはゐないのだが、世間が

 「不要不急の外出を止めて、マスクをして、嗽と手洗ひは念入りに」

と騒ぐ聲を耳にすると、自分の出無精を棚に置いて、部屋に押し込められた気分になつてくる。捻くれ自慢をしてゐるのではなく、単に我が儘の心理と云つていい。

 さういふ時の娯樂は架空の旅行で、但し現實的な要素を忘れてはいけない。一ヶ月を掛けて、金澤から新潟を経て山形へ行かうなんて、まつたく魅力的ではあるが、(わたしにとつては)まつたく現實的ではない。ふいと行ける、まあ一泊か二泊くらゐで考へるのが宜しからう。どうも卑小ではあるし、行くのかどうかだつて曖昧だけれど、書いておけば今後の自分の為になるかも知れないから、取敢ず書いておく。

 

 行き易さの点で先づ、立川八王子福生を挙げたい。いづれも快速電車で着到する。チェーンのビジネス・ホテルがあつて繁華街にも近い。尤もその近さは旅行"といふ気分"を著しく損ふ事にもなる。多摩方面に所用があれば、一泊して一ぱい呑らうかとも思へるが、この稿には些かそぐはない。

 市川から小岩…総武線の方向も考へられる。平成が始つた頃、ごく短い期間、この辺りに住んでゐたのが理由。一ぺん大坂に戻り、再び東下して以來、足を運んでゐない。当時は呑みに行かなかつた(初心だつたのだよ、わたしも)から、懐かしい町の知らない顔を見にゆくのは惡くない。惡くはないのだが、終電さへ誤らなければ、わざわざ泊らなくてもいい程度に近いのが引つ掛かる。

 もう少し離れた町はないものか。

 さう考へて最初に浮ぶのは小田原である。急行や快速でもいいが、小田急にはロマンスカーがある。小田原城と蒲鉾と干物の外に何があるのかは知らない。旧國鐵で一驛動けば早川の漁港があるし、半時間も掛ければ熱海に足を延ばせ、箱根の温泉も遠くない事を思へば検討に値する。

 

 遠近を度外視して、外にはどこがあるだらう。

 大宮。鉄道博物館と川越を繋ぐ場所として。

 秩父。酒藏や蒸溜所が点在するさうで、気にはなる。

 船橋。サッポロの麦酒工場と野田の醤油醸造所。

 どうも、ぴんとこない…大宮や秩父船橋に含むところはないから、そこは念を押しておく。

 

 それでふと思ひ出して、吉田健一の『汽車旅の酒』(中広文庫)の頁を捲つたら、[或る田舎町の魅力]といふ一文にあたつた。昭和廿九年の發表。"昭和の大合併"と称して市町村が整理され、わたしの趣味に引き寄せて冩眞史を見ると、ロバート・キャパインドシナで地雷を踏み、ライカMが發賣された年に、吉田は八高線で児玉へと足を運んでゐる。八高線は東京八王子から埼玉を経由し、群馬は前橋に到る路線。地理の把握は苦手だから何とも云へないが、どの程度の需要があるものか。

 

 我が批評家兼小説家が児玉に行つたのは、"何もない"町だつたからだといふ。この場合の"何もない"は、観光名所になるくらゐの名所旧跡、程度の意味らしい。實際ひとが長く住む土地には、長く住まれるだけの理由があつて、そこには歴史が必ず刻まれる。児玉のそれらが小田原城や醤油藏より知られてゐなくても、児玉の責任でないのは確かである。併し旧い地域なのもまた確かで、武藏國の七党が蟠踞したのがこの辺りになる。かれらは武装した百姓…土豪の集りで、武士團の原始的なやつと考へればいい。さういふ集團が幾つもあつたとのだから、相応に豊かな土地だつたと云へる。

 尤も[或る田舎町の魅力]では、さういふ細々しい歴史に興味を示さない。触れてはゐるけれど

 「それはまあそれとして」

と云はん計りの態度である。八高線の本数の少さに、元々は軍隊が使つてゐたのだらうと考察をし、町並みの古めかしさを誉め、ちよいと足を延ばした先の神社が美しいのを喜ぶくらゐで、著者が結局何をしたかと云へば旅館で呑む[千歳誉]といふお酒を美味いうまいと味はひ

 

 東京からの往復の汽車賃を入れて、一泊して特級酒を一升ばかり飲んで三千円掛らなかったことを記して置く。

 

と〆て、何とも無駄で豪儀に思はれる。七十年近く前の一泊二日三千円(特級酒一升附き)を令和に換算して幾らになるか知らないが、何もない町に遣ふのだから…我われ俗人はどうしたつて名所旧跡や風光明媚を求めるものだ…、幾らであつても贅沢であらう。そこで児玉を目指す事を考へると意外な程、時間が掛かるから驚いた。

 八王子驛から児玉驛まで一時間半から三時間余り。

 新宿驛から宇都宮驛に行くより時間が掛かりかねない。莫迦ばかしい幅があるのは、高麗川驛での乗継ぎが絡む場合。うつかりすると一時間余り待たされる事になる。時刻表を念入りに調べておかないと、えらい目にあふだらう。

 泊る場所はもつと悩ましい。吉田がいい気分になつた旅館は現存するらしいが、宿代やら部屋の按配、そもそも[千歳誉]は呑めるのか、その辺りがよく判らない。風光明媚や名所旧跡は何も無くたつてかまはないとして、寝床(と呑み喰ひ)が不便なのはこまる。かと云つて本庄まで更に移動するのは面倒だし、吉田に笑はれさうな気もする。

 それだつたら八高線の起点である八王子に腰を据ゑるか、八高線の終点である高崎まで行く方がよささうにも思へてくる。さういへぱ同じ著者の『私の食物誌』では高崎のベーコンについて触れてゐた。不安を残したまま児玉に行くより、ベーコンの確實が期待出來る…とは妙な日本語だが…高崎の安心感を撰びたくなるのは、腹の括り具合が足りない所為か。併し[千歳誉]にありつけなくても、美味いベーコンがあれば、麦酒や葡萄酒、酎ハイで豊かな時間は保證されたのと同じである。あすこなら幸ひ、驛の近くにビジネス・ホテルがある。ベーコンのサンドウィッチを買ひ込んでよく、買ひ込んだサンドウィッチは翌朝の為に置いて、呑みに出掛ける撰択肢も残しておける。不要不急だから、實現の目処は丸で立つてゐないけれど、それは別の問題としておかう。