閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

462 未完成のまま

 特別急行列車に乗りたいと思ふ。

 どこに行かうといふのではなく。

 元來わたしは出無精な男である。麦酒と煙草、お米とお漬物、それから気に入りの本があれば、外に出なくても平気なたちなのだが、だからと云つて何がなんでも外に出たくないのではない。外に出ない…出にくい日が續くと、反發を感じはして、それがかういふ形で噴き出したのではなからうか。えらくいい加減なもの云ひになつたのは、自分で唐突と解るくらゐ唐突にさう感じたからで、自分の中の自覚しない圧迫感が大きいのだらう。併しそこでたとへば勝沼の葡萄酒や白州のヰスキィを恋しがるのでなく、いや恋しくないのではないが、その前に特別急行列車の座席が浮んだのは、我ながら不思議である。尊敬する内田百閒が「特別阿房列車」で"なんにも用事がないけれど"、汽車に乗つて大阪に行つたのとはわけがちがふ。百閒先生は戰争の後、大好きな特別急行列車が再び東海道線を走り出したのが嬉しくて、我慢ならなくなつたから、お金を借りて乗つた。ちやんと動機があるし、汽車に乗るのが目的なのも筋が通つてゐる。

 特別急行列車に乗りたいと思ふ。

 どこに行かうといふのではなく。

 とは云へ特別急行列車に乗るのは、甲府でも大阪でも降りて、どこかを目指すのが本筋でせうと云はれるだらう。その指摘は正しい。この場合の特別急行列車は、目的地へ確實に着到する為の手段である。旧國鐵も私鐵もこの点はほぼ一致する。ほぼと濁したのは観光特急といふのが走つてゐるからだが、どうもあれには違和感がある。乗る事自体を目的にした列車を、鐵道會社が運行していいのか知ら。勿論そこに特別な客室と特別な料理への対価が、わたしには高額に過ぎるから、あの葡萄は酸つぱいに決つてゐるとうそぶく狐のやうに妬む気持ちがないとは云へない…といふより、ある。何かの弾みでお金持ちになれたら、一ぺんは乗つてみたいとも思ふ。思ひはするが、それでも本筋から外れてゐるといふ意味で、わたしの願望と大して変るまい。それにこの稿で云ふ願望は絢爛豪華な観光特急を目指してもゐなくて、指摘は認めつつも、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、諒とされたい。

 特別急行列車に乗りたいと思ふ。

 どこに行かうといふのではなく。

 では何の為に乗りたいのかと疑念が呈せられるだらう。わたしはごくありきたりな男だから、本來なら特別急行列車でどこそこに行きたい。先に挙げた白州の蒸溜所は気分のいい場所だし、勝沼にある数々の葡萄酒藏は、それぞれに魅力的で、それらは確かに樂みである。樂みではあるのだが、着到したらその樂みは終つて仕舞ふ。後は帰宅するだけで、甚だ詰らない。当り前の話だと云はれたらその通りと云はなくてはならないが、当り前だらうがさうでなからうが、家に帰つて荷物を片附け、洗濯をして、風呂にも入り、めしの用意をすると考へるのは、さういふ家事が好きなら兎も角、大体は索寞とした気分になるのではないか。わたしはなる。その理由は何かと云へば、どこそこで何々をするといふ明確な目的があるからで、そこがはつきりしたなら、どうすればいいかも解る。それが曖昧なまま特別急行列車に乗る事なのだと云ふと、生眞面目な讀者諸嬢諸氏は首を傾げるにちがひない。特別急行列車に乗つて、幕の内弁当や罐麦酒、或は鱒寿司にお酒でも、サンドウィッチとチーズと葡萄酒でもいいが(ここの撰択は實に悩ましい)、さういふのを並べると、何がなんだか判らないけれど、自分はこれからどこかに行き着くのだといふ事はわかる。きつと愉快な時間になるだらうとも想像がつく。それは漠然とし、またふはふはもした確信であつて、降りるのが熱海でも宇都宮でも、どこかよく知らない驛でも、そのふはふはの確信は、ふはふはのままで、完成完結には到らない。一ぺん降りて、お蕎麦の一杯も啜つて(旨さうな呑み屋があれば潜り込むのも惡くない)から、出發驛行きの特別急行列車に乗り、先刻までの續きを始めてよく、眠りこけてもかまはない。さうやつて何もかも未完成のままに投げ出さうといふ、詰り衝動。

 特別急行列車に乗りたいと思ふ。

 どこに行かうといふのではなく。