閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

444 厄介な紅いあいつ

 わたしの経験なんぞ大した事ではないから、そこは差引きの必要がある。東都で滅多に見掛けない食べもののひとつに紅生姜の天麩羅を挙げて、異論や疑念は出るだらうか。薄切りの紅生姜を使ふ。辛みがあつて酸つぱくて、おかずにも饂飩の種にもなる。大坂では珍しくなく、マーケットのお惣菜賣場にも並んでゐる。東都でも一ぺんか二へん、立ち喰ひ蕎麦屋で見た事はある。試してみたら、牛丼屋に置いてある紅生姜みたいに刻んであつたから驚いた。まづくはなかつたけれど、物足りなかつたなあ。

 

 紅生姜は要するに酢漬けである。正確には梅酢漬け。もつと正確には梅干しを作つた後の漬け汁の再利用。大坂…関西が發祥であるらしい。生姜が日本にもたらされたのは二世紀から三世紀頃、梅を塩藏する技法は十世紀迄に伝來したといふから、紅生姜(の原形)が出來たのはそれ以降。食べものを油で揚げる方法は十六世紀頃に伝へられたから、紅生姜を

 「揚げて喰ふたら、美味いンとちがふか」

といふ發想が出たのは四百年前くらゐだらう。意外に新しい。併しインド原産と考へられる生姜と、始皇帝が死んでから劉邦が天下を盗るまでの間には出來てゐただらう梅干しと、ポルトガルまで遡れる揚げものの技術が、東洋の端つこで合体したと考へれば、完成までに二千年近く掛かつたのだと見立てられもする。後者の方が話の柄が大きくていい。

 

 刻んだ紅生姜はよく目にする。上の牛丼は勿論、ソース焼そば、冷し中華沖縄そばには欠かせない。ラーメンに興味は無いが、北九州では乗せるか入れるかすると聞いた事もある。いづれも香りと彩り、香辛料の役割を果してゐますな。紅ではない生姜も同じで、豆腐や鰹、鯵、素麺。鯖なら塩焼きに薑が無ければ寂しいし、針生姜をあしらはない味噌煮は想像の外にある。天麩羅のつゆに大根おろしを用意するのは基本中の基本だが、そこにひとつまみの生姜があれば、奥行きがぐつと深まつてくる。詰りさういふのが紅生姜に求められる本來なので、それをわざわざ揚げて喰ふなど、どこから思ひついたのか知ら。

 

 偶然だらうね、きつと。天麩羅屋台で用意してあつた口直しの紅生姜を、ぽつりと油に落して仕舞つて

 「かなンな。勿体無い」

それでつまんでみたとか、そんな程度の切つ掛けに決つてゐる。それとも偏執的な紅生姜の愛好家か食通気取りが

 「かまンから、一ぺん、揚げてみイな」

と強要したのかも知れない。まあ、大して旨くはなかつただらう。その一方で今後決して食べるのは御免だと思へるまづさでもなかつたのも確實である。でなければ現代まで(細々とでも)とても生き残れまい。筈なのだが、どうやつて生き残つたのか、さつぱり判らない。江戸時代の天麩羅は低い火力の所為で、衣が厚く、ひどくぼつてりしてゐたといふ。そのぼつてりが紅生姜に適つたのかと想像してみたが、どうもしつくりこない。わたしが知つてゐる紅生姜の天麩羅は、薄い衣をつけ、高温で素早く揚げたものだから。

 

 冒頭、おかずにも饂飩の種にもなると書いた。大坂風の饂飩には確かに適ふ。わたしは大坂式饂飩ならお揚げサン(とかやくご飯の組合せ)を最良とするのに躊躇を感じない者だが、次点にもしかすると、紅生姜の天麩羅を推薦してもいいかと思つてゐる。生姜の味のきつさを、天麩羅の衣と大坂風の甘やかなおつゆは巧く受け止める。江戸風の蕎麦つゆを試した事はないが、喧嘩しさうな予感がする。海老や小柱との相性のよさを思ふと、種ものは六づかしいのだな。

 問題はおかずの方面。お皿に盛り、或は丼めしに乗せ、ではどこで食べればいいものか。その点では薩摩芋や南瓜に近い。近くはあるが芋瓜なら、えい決めたと食べられても、紅生姜だとさうはゆかない。途中途中でつまむのがよく、その点に立てば大葉や獅子唐に近いか。とはいへ大葉獅子唐に較べたら刺戟が強くて、共存も置換もどうかしらと思ふ。獨立性が高いと褒めてもいいが、異端と呼ぶ方が實態だらう。厄介である。

 

 だつたらその厄介を省けば済むのかと云へば、短慮の謗りを免れまい。わたしはその判断を断然非難する。あんなに美味いんだもの、食べない手はないよ。おかずには六づかしくても、つまみにはなる。麦酒やお酒より焼酎がいい。饂飩つゆが受け止めるなら、焼酎は渡り合ふ感じ。組合せは大坂の立ち呑みに毛が生へたくらゐの呑み屋で試した事がある。予め揚げてあつたのを、フライパンで焦げがつく程度まで温めて出してきて、あれは中々旨かつた。さう云へば薩摩揚げに紅生姜は刻み入れられてゐる。不思議だと思つたが、生姜は暑い土地の原産である。暑い土地の酒精に似合はない方が寧ろをかしい。辛くて酸つぱく、紅いあいつは、さうやつて平らげればいいのだとやうやく解つた。喜ばしい。喜ばしいのはいいが併し、東都で紅生姜の天麩羅を食べるのは、気らくとは云ひにくい。矢張りあいつは、どこかしら厄介である。