閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

459 弾み

 何の弾みだか、時に和歌が…正しくは和歌の一部が頭をよぎる事がある。たとへば

 

 憶良らは今は罷らむ子泣くらむ

 それその母も我を待つらむそ

 

の前半部分。六づかしい歌ではない。憶良めはそろそろ帰ります、子供たちが泣いてゐるだらうし、家内も待つてゐるでせうから。くらゐの意味。筑前守として赴任した太宰府での酒席を辞する時に詠んだといふ。

 「臣どのは子煩悩な」

 「愛妻家でもあられる」

その場の貴族も笑ひ、また褒めそやしたにちがひない。和歌が藝術になる前の話である。

 ところで確かめると、憶良が筑紫に任ぜられたのは神龜三年。七年後の天平五年に没してゐて、八世紀の前半頃に相当する。生れたのは斉明帝の六年、七世紀の半ば過ぎ。どうやら上の戯れ歌を詠みすてたのは、六十を過ぎてからと推察出來る。現實に妻子がゐたとして、父を恋しがつて泣く年齢ではないし、当時は通ひ婚だから邸で妻が待つ筈もない。要は即興で大嘘…冗談を飛ばしたわけで、和歌を社交の道具といふ目で見れば満点ではなからうか。

 皮肉を混ぜてこの一首を讀むと、鬱屈が感じられなくもない。筑紫は遠ノ朝廷とも呼ばれた大國で、奈良に匹敵する大寺も建てられてゐたといふ。隋唐と遣り取りをする際は直接の窓口でもあつたから、倭國では稀な都市だつたと想像していい。とは云へ平城貴族にしてみれば、遠隔草莽の土地の印象は拭ひ難かつたらうし、還暦を過ぎて赴けと命ぜられたとなると、年を経て世に沈む自嘲の気分も相俟つて、宴席ひとつも憂鬱に感じて不思議ではあるまい。その気分を太宰府の高官が理解したとは思ひにくい。

 尤も酒席を罷る一首にさういふ複雑な心境があつたかどうかと云へば、少くとも表向きには無かつたらうなと思ふ。もしかすると、都人士の社交はかういふものだよと見せつけたのかも知れないが、そこに通人の厭みは感じられず、千三百年後の我われは感心させられる。この一首は後に『萬葉集』にも収められてゐるから、勅撰の和歌集に文學の形式を教へる一面があつた…これは丸谷才一の指摘で知つた…事を思ふと、憶良の当意即妙は優れた"お手本"であつたらしい。

f:id:blackzampa:20200424182816j:plain

 ところで当時の(ごく限られた数の)讀者は音讀で和歌を味はつた筈である。識字率はひくく、筆墨硯紙がおそろしく贅沢な品で、日本語の表記が定まりきつてもゐない時代、詩歌は音と聲で樂むもので、遡るとホメロスといふ先達がゐる。あの曖昧な詩人(群)の英雄譚は語られる叙事詩であつた。その二千年余り前の吟遊詩人が語つた英雄たちの物語は、文字に移され、文章として纏められる中で、原型が崩れていつたと思はれる。詩歌には音…聲で輝きを放つものと、文字で香り高くなるものがあるのだから、これは止む事を得ない。

 そこで憶良の歌は明らかに前者に属しますな。黙讀してもいいけれど、可笑しみは薄まつて仕舞ふ。歌は精撰して文字に纏めるものだ、といふ習慣がいつ頃成り立つたのかは判らないが(古今新古今百人一首辺りからだらうか)、この特異な定型短詩の性格は、そこを境に変つたのではないかと思ふ。ひとつの語に複雑な意味を忍ばせる…簡単な例を挙げれば"よる"に"夜"と"寄る"と"依る"の意を持たせる…技法は、文字でないと気づきにくい。繊細とも煩瑣とも云へる。概ねは前者を支持してゐたところに

 「それは下らない恰好つけぢやあないか」

と喧嘩を吹つ掛けたのが『歌よみに与ふる書』の正岡子規であつた。何しろ源實朝以來、和歌はふるはない。紀貫之は下手糞だし古今は詰らないと、秘佛を薪に叩き割るやうな罵倒で話を始めるのだから、子規が云ひたい事への共感や反感より、罵倒の鮮やかさに気を取られて仕舞ふ。岩波文庫に入つてゐるから、興味のあるひとはご一讀あれ。

 とは云へ子規が音讀と黙讀のちがひを意識したかどうか。短命だつた伊豫の俳人は萬葉ぶりの雄渾と簡潔、そして冩生に傾倒したが、それを音で聞かせる事には頓着しなかつた気がする。有名な

 

 鶏頭の十四五本もありぬべし

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 

を聲に出して讀みたいかと云ふと、首を傾げざるを得ないでせう。但し黙讀…頭の中で音にすると、鶏頭の鮮やかないろや夕暮れの古寺が浮ぶ。思ひ切つて断定すれば、それは冩眞如きでは太刀打ち出來ない言葉の藝と云つていい。

 尤も子規の發句でわたしが一ばん好きなのは

 

 春や昔十五万石の城下哉

 

で、ここには藝も技術も理窟も、七面倒は残らずあちら側に措いた気らくさ…春風駘蕩といふ古風な言葉が浮んでくるなあ…が感じられる。子規が推敲したかどうかは判らない。字の使ひ方は考へたらうが、音は口をついて出たそのままだつたと思ひたい。感興を即興で詠んだ一瞬、伊豫の若ものは山上憶良の隣に立つたのではないか。呪術でも社交でもなく、詠ひたいから詠ふのだ。それは發見と呼べる感動だつたと思へてくるのだが、根拠のある話ではない。不意に頭をよぎる歌や句には、恋慕や哀惜、或は歓喜といつた烈しい感情だけでなく、火花のやうに爆ぜた機知や冗談も含まれるらしい。その場合、入念緻密より精神の反射の素早さが寧ろ大切であつて、この閑文字に一ばん欠けてゐる要素であると、今やつと気がついた。