閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

514 曖昧映画館~座頭市物語

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 座頭ノ市といへば勝新太郎の大当り役だが、實在の人物がゐたらしい。子母澤寛の随筆だかに書かれてゐるさうで、そつちは讀んでゐないから、この映画の主人公と同じかどうかは知らない。きつと全然ちがふのだと思ふ。

 廿作に余る映画とテレビ・ドラマが作られることになつた最初がこの映画で、筋はあるとも無いとも云へる。対立する笹岡ノ繁藏と飯岡ノ助五郎の喧嘩に、それぞれ助太刀をすることになつた座頭ノ市と肺を病んだ平手造酒(演じるのは若い日の天知茂)が偶々知り合ひ、語り合ひ、酒を酌み交した挙句、その喧嘩の中で斬り合ふ。それだけの話だから(他にも脇の話があつて、續篇でそこは拾つた筈だが、そこは"曖昧映画館"ですからね、勘弁してもらひますよ)、どうと云ふこともない。

 この手の映画はカメラ・ワークと照明、それから演出で殆どが決まる。勝にしても天知にしても、当時はまだ第一流と呼ばれる前の役者だつたから、それらの要素はより大切だつたと見ていいと思ふ。尤もそんな考察はどうでもよく、兎に角ふたりの恰好よさに痺れるのが正しい。ことにクライマックス…詰り繁藏一家と助五郎一家の喧嘩の直前、鐵砲で市を狙はうとする話を耳にした平手造酒…この時点で既に軀を蝕む病魔の指先は命に触れてゐた…が

 「それはいかん。あの男はおれが斬るから、鐵砲はここに置いてゆけ」

と云ひ放つ場面は、お天道様の下を歩けない男に残つた最後の矜持と覚悟が感じられる。市がそれを感じないわけはなく

 「手加減は、出來ません」

さう云つて覚悟を決める。そこからの殺陣が實に美しい。正直なところ、座頭市映画の中であれだけの動きを見せた相手は、わたしが観た限り近衛十四郎…"豪壮"と聲を上げたくなる美事さだつた…を例外に見当らない。

 思ふにおそらくこの映画を作つた時は、長く續くとは考へてゐなかつたのではないか。寧ろ"後に残すものは何ひとつない"くらゐの気持ちだつたと思へる。それは最後の場面でもはつきりしてゐて、市は寺の小僧に仕込み杖を渡し、埋めてくれと頼んでゐる。あれはもう仕込み杖を使はない、詰りやくざ稼業から身を引くといふ暗喩だつたと思ふ。最初から續篇を考へてゐたとしたら、ああはなるない。