閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

605 日記に就て

 最近また『断腸亭日乗』(岩波文庫磯田光一による摘録版)を讀んでゐる。昭和最初の廿年、巷間の出來事と、断腸亭主人即ち永井荷風個人の行動や思惑の対比を(無責任に)面白がれる。いやわざわざ対比させるまでもなく、偏窟狷介な老人(とは云へ昭和への改元当時、荷風は五十歳になるやならずだつた)の、惡口雑言や煩悶、助平心、金錢への感覚(意外なほど細やかである)だけでも存分に樂める。

 ことに前半、人目…官憲の目に附くのを恐れ、何文字かを抹消し、或は切り取り、欄外に朱書してゐた頃がいい。小説家はきつと、自分の日記が公にされると知つてゐて(だから内容に全幅の信頼は置けない)、予防線を張つたのだ。元々何と記したのかも気になるが、書きつけてから推敲し、修正をしてゐた時に、何を考へたのだらうと想像を巡らしたくなつてくる。惡趣味なのは認めるが、さういふ日記を残した荷風は、もつとたちが惡い。

 公刊はされてゐない筈だが、池波正太郎も日記を附けてゐたといふ。本人が随筆に記したのを讀んだ覚えがある。三年とか五年の聯用日記に、朝晝晩に何を食べ、また呑んだかを書いたさうで、時に細君の料理への辛辣な批評(これでは家族を養ふ気力が湧かぬ)もあつたといふ。要は奥方が覗き見するのを前提に書いたわけで、巧妙と考へればいいのか、小説家の厭みと取ればいいのか、六づかしい。

 

 ここから文人でも文士でもない、ありきたりの男、詰りわたしの話をすると、廿歳前後の頃、日記を書いてゐた。大學ノート(今もこの云ひ方なのか知ら)で卅冊くらゐ、續けたと思ふ。すべて棄てて仕舞つたから、その頃に何を考へてゐたのかは判らなくなつた。きつとあのCDが慾しいとか、そんな程度だつたと思ふが、少し惜しまれる気も無くはない。その後の日記帖や手帖は残つてゐる。一ばん古くて廿年かもちつと前くらゐだらうか。

 この十年ほどは高橋書店の手帖を使つてゐる。不満が無いとは云はないが、値段も含めれば我慢出來る範疇でもある。一方で荷風山人も大谷崎も、気に入りの和紙を購ひ、自ら綴りあはせたさうで、筆墨硯紙の嗜みとはきつと、かういふことを指すのだな。とてもとても、眞似出來つこない。

 まあそれは兎も角。

 その高橋書店に何を書いてゐるかといふと、荷風のやうな痛罵ではなく、池波風の献立の記録である。但し幕の内弁当なら幕の内弁当と記すだけで、鰤の照焼きと玉子焼き、昆布の佃煮、鶏の唐揚げ…などと細かくは書かない。外で呑んだ場合も、余程感心したお酒やつまみは例外だか、大体はどこそこの何々に行つた程度に留まる。後はさうだね、髪を切つたとか、支払ひがあつたとか、風が烈しく吹いたとか、我ながら淋しくなつてきた。

 ではあるが、市井の一老人に、毎日記すべき…いや記したくなる事柄があるものか。

 すりやあ荷風くらゐになれば、酒肆に上つて偶々会つた知人と語り、女給と戯れるのは珍しくなかつたらうし、興趣深い一夜を過す機会にも恵まれたにちがひない。それにあのひとは、大正末期から昭和初期の日本…東京を甚だしく厭つてもゐたから、忿懣にも事欠きはしなかつた。子供の獰惡、街路の泥濘、軍人の傲慢、西洋への淺はかな追随、挙げてゆけば切りがなく、ひよつとすると悲憤慷慨を装ひつつつ、罵詈雑言を樂んでゐたのではと邪推したくなる。

 

 何の話だつたか…さう、日記にどんなことを書くか。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の中にも、何を書けばいいのか、そもそも書くことが無い、と投げ出した経験をお持ちの方がをられると思ふ。当り前である。日乗はさういふものだし、昨日と今日で、ものの見方が劇的に変るなんて、滅多にあるものではない。

 その一方、今日が昨日の完全な複製になりはしないのも事實で、呑み喰ひをその例に挙げても、反論はされないと思へる。それらはささやかな記録であつても、十年遡れると、無くなつた麦酒の銘柄や、看板を下ろしたお店や、附きあひの失せたひとの名前があつて、中々に興味深くなる。

 尤も人間は慾深いもので、その慾が日記にも顕れることはある。わたしの場合、新しい手帖の使ひ始めは、毎年末の西上の当日と決めてゐて(おほむね師走の廿日過ぎ)、その時には必ず、金錢時事風俗その他諸々をまめに書かうと思ふ。荷風が頭の隅にあるわけだが、大体は一ヶ月も續かない。面倒になつて仕舞ふ。

 「なーに、心ニ移リユク由無シ言を、そのまま記した法師さまのやうに、日々の雑事を書けばいいのさ」

 と笑みを浮べるひとを信じてはいけない。思ふことと、それを文字…文章にするのは丸でちがふ。詰り面倒なのはこの箇所であつて、では何故あの小説家は細々書き聯ねることが出來たのか知ら。

 ここで話が冒頭に戻つて、荷風は自分の書いた日乗が、死後に讀まれることを知つてゐた。詰り讀者を想定してゐたと考へていい。さういへば池波だつて、奥方の目に留ることを前提に書いたにちがひない。確かにたれかが讀む…讀んでもらふ、讀まれて仕舞ふ…我がもの数寄な讀者諸嬢のひとりかふたり、わたしの死後にわたしの手帖を見たいと思ふなら、嘘はさて措き、面白がつてもらへる工夫(成功か失敗かは別として)は凝らすのは間違ひない。日記といふ私的な場所に讀者を想定するのはをかしいと云はれるだらうが、こつちが死んだ後なら、その辺りはまあ、かまはなくてもいい。