閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

645 好きな唄の話~Stay with Me

 昭和五十九年…西暦で千九百八十四年に米國ロスアンゼルスで開催された五輪に出場した、体操のメアリー・ルー・レットンを観たわたしは、初めてアメリカ女性を可愛らしいと思つた。

 二年後、エイス・ワンダーでデヴューしたパッツィ・ケンジットは、初めて可愛らしいと思つたイギリス女性である。そのパッツィ…エイス・ワンダーのデヴュー曲が『Stay with Me』で、聴く前にシングル・レコード(我が若い讀者諸嬢諸氏よ、そんな時代もあつたのだ)を買つた。

 考へてみると、洋樂とアイドルが結びついたのも、これが初めてだつたかも知れず、わたしの場合、今のところ、パッツィの外にその例はない。きはめて狭い範囲の空前絶後と云ふべきか。

 

 正直なところ、大した唄とは云ひにくい。歌詞は(ざつと聴く限り)ありきたりの"少女の恋愛感情"だし、演奏も下手ではない程度でもある。

 かう書くと、同年代のおニャン子クラブみたいなものかと得心するひとが出さうだから念を押す。パッツィのデヴュー当時の年齢を考へれば(確か十七歳くらゐだつた)、歌唱力は決して惡くない。といふより、おニャン子クラブなぞは及びもしない巧さであつて、この辺りは根拠無く、イギリスだなあと思ふ。

 おニャン子と較べたつて、褒め言葉になるのかと疑念は浮ぶ。浮びはするが、おニャン子だけでなく、同時期の日本の女の子でパッツィのやうに唄へたひとが何人ゐたか。大したことはないと云ひつつ、八十年代…何と既に四十年前…のライトなポップスの一典型として、今でもメロディが忘れ難いのだから、實はわたしの評価より、優れてゐるのかも知れない。

 

 さうさう。

 余談ながらパッツィとメアリー・ルーとわたしは同年代なんである。