閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

125 ポテトフライの謎の部分

 タランティーノの『パルプ・フィクション』の冒頭で、オランダ帰りのキザなヴィンセントが、マヌケ・アフロのジュールスに

アムステルダムぢやあ、フレンチ・フライに何を添へるか、知つてるか」

と訊く場面がある。ジュールスはアムステルダムでフレンチ・フライを食べたことがない。それでヴィンセントはキザな顔つきのまま

「マヨネィーズなんだぜ」

と續ける。聞かされたジュールスはうんざりだと、表情で応じる。それだけの場面。そこから何か始まるわけでなく、伏線でもなく、本当にただそれだけで、腹を立ててはいけない。『パルプ・フィクション』の科白は残らずかうであつて、我われはさういふ意味のない会話だけで映画を作つ(て仕舞つ)たタランティーノを、莫迦だねえと褒めてもいいし、莫迦だねえと呆れてもいい。

 さて。ここからタランティーノや映画や脚本を論じてもいいが、わたしの柄ではないし、どう論じたところで、関係無関係各所から猛烈な反論が出るのもまた明らかである。さういふ議論から逃げたいとは思はないが、さういふ議論は顔を突き合はし、飲みながらたたかはすのが最良の樂しみ方だとも思ふから、この稿では避ける。避ける代りにフレンチ・フライ…いやここからは馴染んだポテトフライと書く…を話題にする。これなら冒頭から話が逸れるわけでもなからうから、許してもらへるだらう。そこで先づ、馬鈴薯といふ言葉は何なのかと確かめてみた。湖池屋の解説

 

https://koikeya.co.jp/contact/faq/detail/00070.html

 

によると、見た目が馬につける鈴に似てゐたからだと説明されてゐる。参考までに薯はイモまたはヤマノイモの意。甘薯や仏掌薯(これはツクネイモと讀む)でも使はれてゐますな。上の解説を讀むと小野蘭山(十八世紀から十九世紀にかけての本草學者)が著した『耋筵小牘』で、“じやがいもは馬鈴薯のことである”と書いてから、さうなつたらしい。『耋筵小牘』は國会図書館のデジタルアーカイヴ

 

 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536033

 

でも見ることが出來るが、正直なところ、どこがどうなのか、よく判らなかつた。かういふ時に無知が曝け出されるのだな。原産はペルー。インカ人の主食でもあつて、どうやらスペイン人がヨーロッパに持ち込んだらしい。これが五百年から六百年くらゐ前。いつ頃から食用として重視されだしたかは判然としないが、十七世紀の中頃には、大々的な栽培がされてゐたさうだから、それ以前に栽培法は成り立つてゐたと考へていい。我が國への渡來は十六世紀末。尤も本格的に育てられだしたのは十八世紀以降のことで、米の穫れない土地の開拓が主眼だつたといふ。裏を返すと馬鈴薯は冷涼の荒地でも比較的育て易く、主食への転用もし易い利点があつて、ドイツやアイルランドで熱心に栽培されたのも頷ける。

 そこでポテトフライに目を向けると、發祥が曖昧なのは料理の常なので、全面的な信頼は置けないとしても、どうやら十七世紀後半のベルギーで生れたフリッツらしい。少なくともベルギー人はさう考へてゐるみたいで、ポテトフライの博物館

 

http://www.frietmuseum.be/en/index.htm

 

まであるから(URLから察するに“フリッツ・ミュージアム”と讀むのだらう)、眉唾ものとは呼びにくい。それにオランダ政府観光局とベルギー・フランダース政府観光局まで共同で“元祖フライドポテト、ベルギー・フリッツの楽しみ方”

 

https://www.hollandflanders.jp/markt/12889/

 

を紹介してゐるのを見ると、説得されてもいいかと思へてくる。そのフリッツは“ビーンチュというフライドポテトになるために生まれてきた最高のジャガイモ”を揚げ、少々の塩かマヨネィーズで食べるのださうだ。おや。といふことはキザなヴィンセントは、この正統的な歴史を知らなかつたらしいぞ。尤もわたしだつて、調べてみるまではヴィンセント同様、マヨネィーズがオーソドックスとは思はなかつた。塩でなければ、ケチャップが精々で、この辺りに限れば、わたしの舌の出來はアメリカ人とさして変らない。思ひ出すと、初めて食べたポテトフライは、ベルギーに関係のないマクドナルドのそれだつたからなあと、ここでは云ひわけしておかう。

 併しポテトフライをいつ、どう食べればいいのか。ベルギー人がフリッツを食べだした切つ掛けは不漁だつたさうだから、そもそもは明らかに主食扱ひだつたと思へる。だからと云つて我われがポテトフライを主食に出來るかと云へばそれは無理な相談で、どう考へたつて米には及ばない。さう断定出來るくらゐ、米に馴染みきつてゐるのだもの、当然の結論である。ではおかずになるかと云ふと、それも微妙であつて、お味噌汁の種だつたり、肉じやがだつたり、玉子焼きに混ぜ込んだりすれば旨いけれど、おかずの主役を張れるかどうかには疑問が残る。ましてフライだと、ベルギー人には申し訳ないが、最初に浮ぶのはハンバーガーやステイクの添へもので、玉葱のフライだつたとしても困惑はないだらうと思ふ。

 では仮にポテトフライをさあどうぞと差し出されたら、どうすればいいかといふ方向から考へると、先づコーラか麦酒が慾しくなる。どこでちがつてくるかと云へば、馬鈴薯の切り方で、細い棒状ならコーラ…マヌケ・アフロのジュールスに倣つて、スプライトでもいいか…で、櫛に切られてゐれば麦酒である。櫛切りポテトフライとあはせる麦酒はオリオンくらゐのかるさが好もしいが、この場合に限れば、バドワイザーでも許容範囲に入れていい。但しこれだと添へるのはアメリカ風の塩かケチャップになつて仕舞ふ。ビーンチュのフリッツにベルギー・ビアを組合せたら、マヨネィーズを添へて旨いのか知ら。何しろビーンチュ馬鈴薯は食べたことがないし、ベルギー・ビアには膨大な種類があるから、さつぱり判らない。口髭自慢のヘラクレスに因んだ名前を持つ名探偵が、この謎の部分について、調査の依頼を受けてゐるかどうか、確めてみなくちやあ。