閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

769 大坂の食卓に

 父親は食卓に細々乗つてゐないと、不機嫌になる。それも全部食べるとは限らない。お箸はつけるが、満足したらお仕舞ひになる。惡い癖だと思ふ。幼少の一時期を朝鮮半島(平壌かその近郊らしい。詰り事と次第でわたしは今ごろ、偉大な指導者萬歳を叫ぶ男となつてゐたかも知れない)で過し、敗戰を経て帰國した後は散々、餓ゑを経験したのに。學校給食で"残さず食べる"のが基本だと教はつた不肖の伜には、不思議で仕方がなかつた。

 今となつては、きつと餓ゑへの反動が、ああいふ形を取つたのだと思ふ。幾種類も食べものがあり、好きに食べ散らかすのは、夢に等しい贅沢…伜の世代では、實感を伴つた想像は不可能に近いのだけれど…だつたらう。残せない棄てられないとは異なるが、これも吝さの顕れとも見立てられる。困つたお父つあんだと思ひつつ、眉を顰めきれないのが身内へのあまさなのは、異論なく認めるところである。

 併し伜は暢気に困つたなあと呟くだけで済む。難儀を蒙つたのは食事を用意する側、母親であつたのは間違ひない。父親が現役だつた頃、母親もまたさうであつたもの。いやここで性差(今はジェンダーとか何とか、呼ぶのだつたか)を云々する積りは丸で無い。この稿では母親が六十年余り、連れ合ひの食事を用意し續けた、續けてゐる事實があり、不肖の伜であるところのわたしは、それを嬉しく思つてゐるのです、と云ふに留めたい。

 不器用で料理が苦手と自認する母親は、小鉢小皿をうまいこと、工夫してゐる。