閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

755 何とかなる

 困つた時はコロッケがあれば何とかなる。

 何とかなると思ふのは、コロッケが身近に感じられ、またありもするからで、念を押すとクロケットではない。わたしが云ふのは、明治後に輸入された調理法に手を加へ、変貌したコロッケを指す。大雑把に

 馬鈴薯

 少量の挽き肉。

 小判型。

 ウスター・ソース、叉は醤油、或は味附けぽん酢でやつつけるのがうまい。鯵フライやハムカツ、ミンチカツとはちがつて、辛子は用ゐない。但し最初から、ウスター・ソースに忍ばせるのは方法…香りをつける程度でいいけれど。

 

 椎名誠の小説…確か『銀座のカラス』だつたか。正しい題名かどうか、自信がない…で、主人公の男が、微妙な間柄の女性に、麦酒とコロッケの組合せを勧める場面があつた。と記憶してゐる。小説の話をする積りではなかつた。

 椎名の小説では『アド・バード』が抜群に面白かつた。

 それはさて措き。いきなりこんな話を持ち出したのは、わたしの視線をコロッケに向けた切つ掛けが、どうやらそのくだりらしいからである。でもなければ、題名も曖昧な小説の一部分でも、覚えられはしない。

 その切つ掛けから暫く、麦酒にはコロッケではなくちやあと夢中になつた。我ながら単純だなあ。尤も鯵フライにハムカツにミンチカツを麦酒にあはすのは、コロッケの経験が無ければ、試さなかつたかも知れないから(鶏の唐揚げがあればいいぢやあないか)、矢張りコロッケには恩がある。

 

 例によつて起源ははつきりしない。馬鈴薯に挽き肉、刻んだ野菜、香草、或は擂り潰した魚をソースで丸め、パン粉をまぶして揚げる料理屋…クロケットは遅くとも十八世紀の前半にはあつた。フランスとかオランダとか、その辺りで喜ばれた、豪勢な一品だつたらしい。さうだらうね、ちやんと下拵へをすると、莫迦にならない手間が掛かる。と思ふ。

 併し"混ぜて丸めて揚げる"ことだけを考へたら、幾らでも誤魔化し…手抜きは出來る。本当かどうか、あの店のクロケットは屑肉を使つてゐるらしいぜ、と噂が流れることもあつたとやら。多少の眞實は含まれてゐたらう。序でに云ふ。英國労働階級の友人、フィッシュ・アンド・チップスは、もしかするとクロケットの突然変異種ではなからうか。欧州揚物史研究家のご教示を待ちたい。

 

 話を戻しますよ。我われ、いや失礼わたしに馴染み深いコロッケは、豪勢でない方の系譜に属してゐる。マーケットのお惣菜賣場に並んでゐるやうな、と云へばいいか。コンヴィニエンス・ストアのやつも中々宜しい。かういふのに馴れきると、偶さか洋食屋で食べるクリーム・コロッケ(本來のクロケットに近いのはこちららしい)を前に、どこからどう手をつければいいのか、判らなくなる。

 尤も我われは、明治人が西洋料理を受け容れてきた事情を想像しなくてはならない。かれらは肉食にも馬鈴薯にも不馴れな上、乳を用ゐたソースなぞ、目にしたことも口に入れたこともなかつた。揚げるといふ手法の蓄積があつたのは幸ひで、とんかつも海老や牡蠣や烏賊のフライも、その伝統が無ければ成り立つまでに余程、時間が掛つたにちがひなく、成り立つても異なる姿になつた可能性はある。

 改めてコロッケに目を向けると、明治…遅くても前半…の洋食屋は、ベシャメル・ソースを作る技術を持つてはゐなかつた…と云ふよひ技術以前に知らなかつた筈である。そこでかれらは、種を纏め丸めて揚げる、掻き揚げや薩摩揚げがあるぢやあないか、と聯想したのではなからうか。未知の料理を作らうとする時、既知の調理法や味附けを参考にし、また転用するのは当然と云ふものだ。

 

 大正期くらゐまでは、高級な食べもの扱ひだつたといふ。斎藤緑雨がコロッケ蕎麦の流行…學生の間で大きに受けたんだとか…を冷笑したのはもつと前だつた。軽佻浮薄な金持ちの道學息子が、珍奇に飛びついたんだらうな。

 馬鈴薯をうで潰すのと肉を挽く手間が樂になつたこと。

 火と油を安定的にたつぷり使へる環境が整つたこと。

 かういふ條件が揃つて、コロッケは大衆的な食べものへと変化した。大衆的といふことは、材料を削り、西洋式の手間を省き、廉価でうまい食べものを指す。珍奇でも何でもなくなつたので、どら息子聯中も熱狂から醒めたらう。

 偶さかの外食。

 特別なお惣菜。

 当り前の一品。

 粗つぽく云ふと、上の変遷を経て、コロッケは我われ…訂正、わたしのやうな下層民も、困つた時にこれがあれば何とかなる、と思はせてくれるに到つた。西洋人は厭な顔をするかも知れないが、それは西洋人の都合である。

 

 ごはん…白飯にはあまり適はない。

 ささやかな経験で云ふと、出来合ひのやつなら、匙の背で少し潰して食パンに乗せ、トースターで焦げるくらゐ焼いてから、ウスター・ソースでやつつける。ホークでぐさぐさ穴を空け、矢張りウスター・ソースか味附けぽん酢、醤油を染み込ますのもいい。午后の罐麦酒に似合ふ。

 いやそれはいかん。コロッケは揚げたてに限ると、目黑のお殿さまみたいな意見もあるだらうし、またその見立てに一理あると認めるのも吝かではないが、思ひたつと矢も楯もたまらなくなるのがコロッケで、そんな時にいちいち揚げにかかり、或は揚げたてを求めに行くのは面倒でならない。

 だから(といふ接続詞の用ゐ方が正しいものか)、揚げたての熱いコロッケは、呑み屋で食べることが多い。麦酒を呑むのは云ふまでもない。

 最初の一口はそのまま囓る。残りは更に半分に割り、片方はウスター・ソース、もう片方を醤油の類にする。我が儘が通る呑み屋で、タルタル・ソースがあればそつちもいい。首を傾げなくたつて、熱いポテト・サラドの塊…確か熊本だつたか、竹輪にポテト・サラドを詰めて揚げた料理があるといふ。辛子蓮根の応用だらうか。一ぺん、食べてみたい…のやうなものだ。

 

 おかずになりにくい(ならないとは云はないが、丼の種にはなるまい)のは、米食人…貴女やわたしの視点から云ふと、些か不利に感じなくもない。一方でコロッケは単獨でうまいんだもの、さう視点をずらすことも出來る。

 カメラをぶら下げ、暢気に歩く、晴れた休日の午后。

 食事をしたいほどではないけれど、空腹は感じる時。

 困つては云ないけれど、困つたと云へなくもない、コロッケはまさにこの瞬間、本領を発揮する。フランスやオランダの優雅な階級の人びとは、きつと経験の無い(云はば實に椎名誠的な)困つたなあだと思ふ。コロッケがあつたら、何とかなりますよと教へたいが、余計なお世話だらうか。