閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

934 奔放な聯想の種

 思ふにオリンパスのが作つたカメラの最高傑作は、ペンFではなからうか。我がわかい(もしかすると大半の)讀者諸嬢諸氏に念を押すと、ここで云ふのはフヰルム式…ハーフサイズのフォーマットを採用した、レンズ交換が出來る一眼レフの方。私が知る限り、他社で同様の機種はない。当のオリンパスですら、F/FT/FVの三機種…これらは派生機の関係にある…以後、後續機は作れなかつた。そこに色々の背景があるのは認めつつ、この稿では

 「極端に獨創的なカメラは、後継に恵まれない」

と云つておく。構造に就ては、公開された資料がたくさんあるから、興味のある方は確めてご覧なさい。このペンFの獨創性が、米谷美久といふひとりの技術者にほぼ集約される点は、特筆しておくけれども。

 ペンFを現代の目で見ると、ハーフサイズの割りには大柄だし、手にすると重くもある。操作の感触だつて、滑かとは云ひにくく、平らな上面(ペンタプリズムを廃した結果)は兎も角、横幅はライカ判の一眼レフと大して変らない。第一、当時のフヰルムの品質では、ハーフサイズで使ふには無理が大きくもあつた。身も蓋もなく云ふなら

 「(当時)爆發的な人気のハーフ判カメラの市場は早晩、消えてなくなるか、狭まるだらう」

ことは容易に想像出來た筈である。にも関らず、ペンFでは凝つた構造を採用し、豊かなレンズ群とアクセサリまで用意した。足りないのはモータードライブくらゐのもので、高級でも何でもないカメラが、ここまで厳密になつたのは、米谷の資質に依るところが大きかつたにちがひない。

 ここで些か唐突ながら、私は空海聯想する。雜密の欠片から、密教の一大体系を創つた怪人。それまでの体系は使ひつつ、足りない箇所を補つた手法といふか、段階の踏み方の相似形に

 「ある物は使ふ。必要なのに無い物は作る」

といふ米谷の考へ方がありさうだと思はれるからで、強引か知ら。併しペンFとその周辺の緻密さが、個人に帰すると見た時、大掴みに似てゐると感じるのは、想像としては許してもらへさうにも思ふ。第一、聯想の基になつたのは、おそらく日本で最も有名なカメラの設計者が、空海と同じ讃州生れだからである。少すぎると思はれるかも知れないが、あの狭い國から、僅か千年そこそこで、巨人(思想と光學)…それも骨組みは似てゐる…を、ふたりも(讃岐にはその手の人物を産み育てる土壌でもあるのか知ら)輩出したのだから、凄いと云つてもかまはないでせう。慌てて念を押しますが、ペンF本体を金剛界、レンズ群を胎藏界に見立てた積りではありませんよ。ではありますが、奔放な聯想の種になるカメラがもつとあつても、いいのではないかとは思ふ。