閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

958 コロッケを

 立ち喰ひ蕎麦の種ものは、大体のところ、好きである。

 尤も多少の例外はある。

 第一にはカレー南ばん(品書きにはかう書かれてゐることが多さうに思ふ)で、カレーとの相性がよいのは、小麦系統の麺ではないだらうか。併しまあ、こつちはかまはない。カレー饂飩が美味しいから。

 もうひとつはさうも云へなくて、私はコロッケ蕎麦のことを云つてゐる。明治のいつ頃だつたか、高田馬場蕎麦屋が出して、學生からの人気を得たといふ。世の中、こんな風になつてゆくものさ、と吐き捨てたのは斎藤緑雨だつたか。かれの云ふ"こんな風な世の中"がどんな風なのかを考へると、日本史上の文明の在り方まで、話が進みさうだ。

 勿論この稿で、その方向へと話が進む筈はない。

 一ぺんだけ、食べたことがある。平成元年か二年。名代富士そばだつたと思ふが、そこの記憶は曖昧になつてゐる。何故食べる気になつたのかも思ひ出せない。大坂では見たこともなかつたから、興味半分で註文したのだらう。

 蕎麦つゆにあはせる為か、堅めに仕立てたコロッケ、後は若布と葱だつたか、食べて兎にも角にも困惑した。蕎麦は惡くないし、コロッケもまた、さうである。それらが合体すると、何とも云ひにくい味になつて、コロッケがもろもろ崩れるのにも困らされた。別皿なら千切りつつ、蕎麦つゆに浸せるのに、東京人はかういふのを好むのかと思つた。

 一体コロッケは、単体で食べるのが最もうまい。揚げたてならそのまま。ウスター・ソースを垂らしてもいい。通を気取りたければ、上等の塩を振るのも宜しい。勿論醤油だつて似合ふ。であれば

 「蕎麦つゆ…野田や銚子の醤油で色濃く仕上げた関東風の…も似合ふ筈だ(天麩羅蕎麦もあることだし)」

さう高田馬場蕎麦屋が考へたのかどうか。學生のハイカラ好みにすり寄つただけ、と想像する方が實情に近さうな気もされなくはない。とは云へそれで、令和の今まで(細々かも知れないけれど)延命してゐるのだから、大したものだと評せはする。それでも私は、画像のやうなコロッケに一票を投じるのに、躊躇ひを感じはしない。