閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

998 梯

 年の瀬、西上前には、東都の気に入りの呑み屋を巡ることにしてゐる。巡るといつたつて、強靭ではない体だから、三軒…頑張つても四軒が精一杯である。併し気に入りの呑み屋は、三軒四軒では収まらず、そしてお酒は、頑張つて呑むものではない。となつたら

 「西上前に巡る呑み屋」

を(ある程度にしても)決めておきたい。念を押すと、決めたからと云つて、その通りに巡るとは限らず、だつてハプニングこそ、呑み巡る樂みではないか。ひと先づ順不同で

 

 大久保のケー屋。何と云ふこともないチェーン店のひとつなのだが、ここの店長が野球好きなんである。素人の野球巷談を肴に呑む抹茶ハイは實にうまい。店員さんのひとりが、妙にサブカルチュアに詳しいのも、味はひを深めてくれる。

 東中野のアイ屋も、矢張り当り前のチェーン店。何がどうとは云ひにくいのに、揚げもの焼きものが上手で、客あしらひが巧いから、気分宜しく呑める。東中野なら、シーディとエスエスも忘れてはいけない。どちらも長く無沙汰をしてゐるけれど、葡萄酒なら前者、葉巻とハイボールなら後者で間違ひはない。

 中野に足を延ばしたら、ケイ船がある。黑糖焼酎と泡盛、何よりお摘みがうまい。客筋も好もしく、禁煙といふ唯一の難点を除けば、外し難いといつていい。そのすぐ近くにあるワイ(ここも客筋がいい)は、立呑屋で煙草を吹かせる。こつちはお酒の銘が豊富だし、肴がうまいのは変らない。

 

挙げたのが六軒。主だつたところなので、大久保にある立呑屋のピー、中野の立呑屋でピイ、お酒に強いケイ魚や葡萄酒を呑ますエイ、薹灣料理を出すエイチ(但し酒精は少々見劣りする)、ヰスキィの揃へが魅惑的なエム、東中野に戻つてアールを含めると十三軒になる。幾ら順不同とは云へ、予めここから絞り込むのは、かなり六つかしい。併しおほむねの流れは、起点次第で決まる。居酒屋式の呑み屋で〆ないこと経験上、はつきりしてゐる。

 

 そんなら話は簡単で、起点の場所叉はお店に目星をつければ済む…とならないのが、厄介な点なんである。その日の気分は、諸々の條件で変る。寒風がきつい曇り空なら

 「おでんを摘みに、温めたお酒」

が恋しくならうし、陽射しが妙に暖かく感じられたら、

 「壜麦酒で餃子やハムカツでもつつかうか」

などと考へるに相違ない。この辺りが空腹の具合で揺れるのは、念を押さなくたつて、いいでせう。叉その揺れ方が、その日その時でないと解らないことも。

 かう書き進めると、呑む計劃がどうかう自体、そもそも間違つてゐるとも思へてくる。これで話が冒頭の、馴染んだ呑み屋でのハプニングこそ、呑み巡る樂み…少くともその(小さからぬ)要素なのだ、といふところに話が戻る。それによく考へれば、一晩で巡らねばならぬ特段の理由が、あるわけでもない。なのでこの稿では、その日の天候や腹具合で、梯の昇り口と高さを考へる、程度に留めざるを得ない。