閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

999 埒もなく

 書き出した時点で、[閑文字手帖]のページ・ヴューが、一万にひとり、足りないところまで到つてゐる。この稿が千にひとつ及ばないのと、歩調が合つてゐる風に見えたのだが、これはただの偶然である。

 それは兎も角。

 過日の晩、鶏皮(揚げ)のぽん酢和へ…鶏皮ぽん酢ですな、要は…を摘みにひとりで呑みながら、西上の経路を考へた。小田原に寄り道をするかどうか、といふことで、迷ひに迷つた挙げ句、今回は寄らないと決めた。驛にちかい立呑屋で二杯か三杯、引つ掛けてから、蒲鉾を魚に松美酉を呑み、早川の漁港で朝市を樂むには、時間が限られ過ぎる。従つてあの町には、機會を改め作つて訪れることにする。熱海行なんぞを絡める計劃でもいいな。

 それで西上の日取りに目処がついた。

 それで半ば自動的に、午前中に洗濯と(ちよつとした)片附けをして、東京驛に向ふ算段も固まつた。午后一時台發の、のぞみ號かひかり號なら、午后三時半から四時過ぎの間に、新大阪驛へと着到する。もちつと暢気に行くなら、午后一時前のこだま號に乗る手もあつて、この辺はぎりぎりまで決めないでおかう。呑み屋撰びと同じく、天候と腹の具合に、目は瞑れない。

 どれに乗るかはそれでいいとして、問題は車内での呑み喰ひである。西上はクリスマス前後の予定になる。詰り気に入りのお惣菜賣場が、チキンやミートパイ、或はピザで埋められ、胡瓜の酢のものや烏賊と里芋の煮ころがし、韮とレバーの炒めものの姿が失せる。チキンやミートパイにうらみはないが、何とも云へない困惑を感じてもしまふ。日保ちするのを前日に買つておく方法はあるが、家を出る前にお摘みが決つてゐるのは気に入らない。

 などと考へるのは、のぞみ號乃至ひかり號に乗る前提である。両者は何しろ速い。精々二時間半くらゐだもの。幕の内弁当を摘みに、麦酒と葡萄酒(或はお酒)を悠々然々ときこしめる時間としては短い。なのでサンドウィッチ叉はおにぎりにお惣菜といふ、簡便で安直且つ安易、更に確實な組合せを想定してみたが、案外に無理がありさうで、まつたくクリスマスは迷惑だなあ。

 勿論こだま號を使ふ撰択なら、上の心配…でなければ不満は感じずに済む。ところで東海道新幹線は、令和六年のいつ頃か、車内の喫煙室を廃止するさうで、まつたく非文化的と思ふ。喫煙者の立場として云ふなら、五百円でも千円でも、運賃を上乗せした、喫煙車輛(聯結さすのは一時間に一本程度、こだま號限定でかまはない)を復活させればいいのに。

 とは云へ近い将來、喫煙室が廃されるのは間違ひない。喫煙室の無いこだま號に乗るのは、遠慮したい。であれば、本年末の運行をもつて、"居酒屋 こだま號"の閉店とするのも、趣向かと思へてくる。目を附けてゐるこだま號なら、午后五時頃には新大阪驛に着到する。新横浜驛を出てから、米原驛の前辺りまで、だらりと呑むとしたら、ミートパイもまた、お摘みに撰べさうでもある。

 鶏皮ぽん酢を摘んで煙草を吹かしながら、埒もないことを考へた。呑みながら、埒もないことを考へる時間は、まことに愉しいものである。