閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1017 丸太花道、東へ

 睦月の五日、膝腰の具合が宜しくないと父親が云ひ出し、病院へ検査に行つた。昨年の夏、かるい脳梗塞を發してもゐた事情がある。何といふこともなからう、と思ひたくはあるにしても、検査の結果で、何といふこともないと確められるに越したことはない。ついて行く積りだつたが

 「すりやあ、要らンわ」

と云はれた。気耻づかしく感じたらしい。それで附き添ふのは母親だけで、私はお留守番になつた。お留守番だから、何かするわけではない。お買ひものも云ひつけられなかつたから、おとなしく籠つた。お晝は冷やごはんを温め、行者大蒜で平らげた。行者大蒜はお酒よりごはんに似合ふ。惡い事態にならないとも限らないと考へ、麦酒は控へた。どうです、落ち着いた態度でせう。

 二親の帰宅は思つたより早かつた。レントゲンを撮り、格別の異常は見られなかつたといふ。但し頸部に小さな梗塞があるさうで、母親曰く

 「お医者さまが云ふには、それが要因(のひとつ)かも知れないですね、なンやて」

らしい。梗塞が頸にも出來るとは知らなかつた。まあざつと齢相応の衰へと見立ててかまふまい。なので東下の予定を考へねばならず…面倒だなあ。併し私は準備を怠らない男でもあつて、事前にダイヤグラムは調べてある。

 午后一時台と二時台に、新大阪驛を發車するひかり號乃至のぞみ號なら、夕刻には東京驛に着到する。休みを一日残して動き、馴染みの呑み屋に寄り道して、一ぱい引つかけられもして、中々魅力的である。とは云ふものの、東海道新幹線車内で、罐麦酒(二本)とサンドウィッチくらゐ、やつつけるにちがひなく、降りて叉わざわざ呑みに行ける余裕があるものか、自信が持てなくもある。

 (飲み助の丸太なのに、何を云ふのか)

我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の一部が、苦笑ひを浮べさうにも思はれるけれど、飲み助であることと呑む量の多さが、一致するとは限らない。この一年か二年で、すつかり弱くなつたのは事實である。道草は止めにしておかう。

 睦月の七日…ここは"ナヌカ"と訓みたくなるね、どうも…は日曜日。翌八日月曜日は成人ノ日。祝日である。東下リはこの日にする。さうなると、仕事が翌日からになるが、その辺りはまあ、早めのひかり號に乗ればよからう。

 それで七日の夜は、寄せ鍋にしてもらつた。獨居だとどうしたつて、食べるのが六つかしい。毎度のごはんに註文を附けるほど我が儘でない私の例外が鍋料理である。焼き柳葉魚を摘みに、サッポロの黒ラベルをやつつけてから、お豆腐に白菜、長葱、薄切りにした人参、菊菜、鶏肉、しめじ、しやぶ餅、更に鰤まであつた。寄せ鍋が旨いのは勿論、あはせて呑んだ菊正宗もうまい。すつかりお腹が膨れて仕舞つた。ごはんが美味しいのは、喜ばしいことである。

 八日の大坂は晴れ。但し寒気が稍きつく、それまでが余程に暖かだつたからなのだが、気温がやうやく年始に追ひつあた感じがされた。ニューズは各地の成人ノ日のお祝ひがかうだと流してゐる。わかい時分、成人ノ日は睦月の十五日だつたのを思ひ出しつつ、珈琲を二杯。

 寄せ鍋の残つたつゆに、白菜としめじを入れ、中華麺を炊いたのを食べた。黒ラベルを呑み、ごはんを少し、行者大蒜で食べたら、前夜と同じく、お腹がくちくなつた。一時間くらゐ休め、御佛壇に挨拶をしてから家を出た。最寄りの驛まで歩く途中、氏子になつてゐる神社がある。手をあはして、二親を頼みますと云つた。尤も相手は天神さまだから、老親の健康は職掌の外かも知れない。

 梅田に出てから、旧國鐵大阪驛で、東海道新幹線の切符を買はうとすると、普通車の指定席が取りにくかつたので驚いた。悉く満席ではないけれども、私好みの二人掛け通路側は賣り切れてゐて、止む事を得まいと、午后二時十八分發ひかり號のグリーン車を奢つた。罐麦酒を二本(アサヒのスーパードライとキリンの一番搾り)買つた。お腹は膨れたままだつたから、サンドウィッチの類は買はなかつた。

 入線したひかり號に乗ると、肉塊でも詰めたかと思へる、重さうな車輪附きのトランクを、二つも三つも引きずつた、外ツ國のお客がゐた。

 (シンカンセンは、かれらにとつてきつと、"さういふ"車輛なのだな)

と思つて、"さういふ"とは"どういふ"意味なのだらう、と思ひなほした。發車は定刻。暫くすると、係員といふのか、添乗員と呼べばいいのか、おしぼりを配つてくれて、おれは今グリーン車のお客なのだと感じた。

 京都驛を發車してから、スーパードライを開けた。呑みながら周りを散らちら見るに、麦酒を呑んでゐるのは私だけらしい。新幹線ほど

 「何もせず、ぼんやり呑む」

のに適した場所は中々見つからないのに、勿体ないなあ、などと考へてゐたら、不意に窓の外が明るくなつた。我らがひかり號は、滋賀県に入つたとおぼしく、畑や民家の屋根に雪 が乗つかつてゐる。車内のアナウンスが、間もなく米原(このひかり號は、名古屋驛まで各驛に停る)と云つた。東海道(新幹)線の中では、雪の降る地域である。その米原驛に着到する辺りでスーパードライが空になつた。名古屋驛を出發するまで、二本目の麦酒は我慢する。

 名古屋驛でちよと肥つた小父さんが隣の席に坐つた。その手の小父さんにありがちな、もこもこした上衣を着てゐて、暑苦しいのはかなはんと思つた。小父さんには小父さんの云ひ分があるとして、それはこつちの知つたことではない。

 次の停車は小田原驛。名古屋驛からは、一時間かそこらで着到するらしく、改めて驚いた。驚いてゐる内に、我がひかり號は豊橋を過ぎ、濱名湖の傍を走つてゐる。東海道新幹線から臨める車窓の風景では、富士の御山を例外に、濱名湖辺を私は最も好む。一番搾りを呑みながら、満喫した。一体に東海道新幹線は、色々の事情なのだらう、窓から目にする情景は詰らない。東海道本線で西上した時、小田原驛を出た後に見える太平洋は、美事だつたのを思ひ出し、低速鐵道…快速や急行…は、こんな場合に優位なのだなと考へた。

 喫煙室に一服、点けに行くと、白人の兄さんがスマートフォンのカメラを窓外に向けてゐた。何かと思つたら、富士の御山が見えてゐた。鼻白むくらゐの鮮やかさだつた。見えなければ見えないで、残念に思ふのに、あつけらかんとした姿だと、それはそれで不満になのだから、富士山からすれば

 (好き勝手を、云ふものぢやあないよ)

鼻白むのではあるまいか。山の聲が聞こえないのはきつと、我われにとつて幸せなのだと考へてゐたら、ひかり號は小田原驛に着到した。東下リの気分は、もう了りに等しい。明日からの仕事が浮んできて、ちよいと憂鬱な気分になつた。