閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

715 丸太花道、東へ

 東に下らねばならない。下りたいのかと訊かれたら、さうでもないと応じなくてはならず、併し厭だとは思はない。要は二週間と少し、大坂の家で過した結果、無精ものの性根が顔を出してゐる。一方で東にはよい友人がゐて、旨い呑み屋もあり、恋しくないと云へば嘘になる。廿一世紀とほぼ重なつてゐる東都暮しの分、つきあひだの何だのが出來るのは否も応もなく、それらは時に面倒で、時に樂みでもある。恋しくないと云へば嘘になるのはさういふ事情による。但し(残念ながら)めしを喰ふには働かざるを得ず、その働く場所は東都にある。だから下るのは止む事を得ない。

 

 西に上るのは東海道新幹線のこだま號を使ふ。

 東に下る時はのぞみ號かひかり號を使ふ。

 

 こだま號を使ふのは、乗車時間…正確には乗つてゐる時間のお弁当や麦酒やお酒…が樂みのひとつだから、のぞみ(乃至ひかり)號に乗るのは、その尻尾に仕事が纏はりつく…詰り単なる移動…からで、同じ東海道新幹線でも果す役割がまつたく異なる。旧國鐵…JR東海と呼ぶのには未だに馴染めない…は同じ東海道新幹線ですよと云ふだらうが、『阿房列車』の愛讀者としては、往路と復路では目的がちがふのだから、列車の性格が(乗客であるところのわたしにとつて)、ちがふのが当然なのだと反駁しておきたい。新幹線に乗るのも目的になるのか、合理的で高速な移動手段なのかの違ひなのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から同意をもらへるものか、自信は持てないけれども。

 

 ところでわたしが乗車する新大阪驛は、東海道新幹線山陽新幹線を聯結する驛でもある。なので東京方面に行く新幹線は、山陽新幹線からの乗り入れと、新大阪驛始發に大別出來る。こちらとしては当り前だが始發に乗つて坐りたい。時刻表をざつと見るに、一時間に四本か五本、出てゐる。撰び放ではないにせよ、ある程度の余裕を持てば苦心はすまい。

 問題は天候である。これを書いてゐる時点で、関東東海地方に雪の予報が出てゐる。滋賀県の辺りは、何かと云ふと雪で運転を見合せ、或は徐行運転になる。停つてくれれば諦めもつかうが、中々そこまでは到らず…最終的な判断は様子を見つつ下せばよい、と曖昧に考へた。

 夜が明けた大坂の空は、前夜の自分のやうに曖昧としてゐる。窓を開けると風がえらく冷たい。ニューズを観ると、東海から関東に掛けて、鐵道は恙無く運行してゐるらしい。更に翌日も晴れさうだと解つた。前夜の寄せ鍋(鱈)の残りで炊いたマルタイのラーメンを啜つて(アサヒのスーパー・ドライも一本呑んだ)、東へは明日の晝過ぎの新幹線で下ればいいと決めた。追ひ詰められないと行動に移せない惡癖が、顔を出したわけで、我ながら緩慢な態度である。

 

 晴れた。引續き怠惰でゐたいと思ふが、さうもゆかない。仕方無く起き出して珈琲を飲む。普段ならうで玉子を摘む程度で済ますところを、お晝のことを考へてお澄しでお餅をふたつ食べた。旨かつた。珈琲のお代りと煙草を喫して、午前十一時過ぎに出た。父親曰く、気合ひを入れンと体調を崩すぞとのこと。忠告は正しいと思ふ。途中、氏子になつてゐる神社に手をあはせて(祭神は天神さま)、最寄りの驛まで。案外なくらゐ、お腹が重い。

 阪急電車西中島南方驛で降り、大阪メトロで新大阪驛の経路を取つた。例年は梅田まで出るのだが、道に迷ひさうな気がしたからである。廿歳過ぎまでは平気に歩けたのに、卅余年を経た梅田は迷宮と呼ぶ他にない。爺になつたものだと少し計り、溜め息が出た。

 新大阪驛でのぞみ號の指定席があつさり、手に入つた。安心した所為なのか何なのか、猛烈な空腹を感じた。時間にそれほど余裕があるわけではない。少々あはててサンドウィッチと麦酒を買つた。早鮓や鱒寿司、鯖寿司、幕の内弁当にしなかつたのは、ごはん…お米を食べたい気分ではなかつたからである。饂飩を啜る時間を持てなかつたのは残念だが、止む事を得まい。

 

 十二時廿六分、我がのぞみ號は恙無く發車。京都驛を過ぎるまで待つて、アサヒの"マルエフ"を開け、"中之島ビーフサンド"を摘んだ。窓外は快晴、いい気分だなあと目を上げると、三列前の通路側からひよいと飛び出す顔があつた。くりくりした目の赤ん坊で、どうもこちらを見てゐる。ふはふは手を振り、へんな顔を作ると、にこにこしてくれて、何とも嬉しい。麦酒も旨くなつた。尤も赤ん坊がいきなり聲を立てて笑つたから、ご母堂が不思議に思つたのだらう、ちらりと視線を送つて、會釈されたのは耻づかしかつた。

 滋賀県に入つた辺りで、田圃を雪が覆つてゐるのに気がついた。陽射しがその足跡も無い雪を照らして、まことに綺麗に映つた。住んでゐる人びとにはきつと、迷惑なのだらう。そんなことを考へてゐたら、間もなく名古屋と車内放送があつたので、びつくりした。序でに次の停車驛が新横浜驛と聞いて、更に驚いた。のぞみ號だもの、当然である。どうやらこちらの感覚は、こだま號で十分に速く感じられるらしい。先刻の赤ん坊はご母堂に連れられ(改めて礼儀正しくお礼を云はれたから困つた)、名古屋驛で降りた。おとなしげで聡明さうな、いい子であつた。

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 名古屋驛を出て少ししてから、煙草を吹かしたくなつた。のぞみ號には喫煙室がある。それで足を運んだら、えらく混雑してゐた。感染症対策とかそんな理由で、ひとりしか入れなくなつてゐる。莫迦げた対策もあつたもので(喫煙室の周りに待つひとが立ちすくむことになる)、だつたら喫煙室を拡げるか増やすか、すればいいのにと思ふ。一服吹かしたけれど、待つひとがゐるのは解つてゐるから、まつたく落ち着かなかつた。

 席に戻つて一番搾りを開けた。買つてあつた、じゃがりこの"たこ焼き味 ソースマヨ風味"(何の味になるものか。それに"食べだしたら、キリンがないね"と惹句があつて、馬鈴薯にもたこ焼きにも掛つてゐない)を噛んでゐたら、進行方向の左側に大木な水溜りが見えた。何秒か経つて濱名湖だと気がついた。ほんの少し前に名古屋驛を發車した筈なのに。矢張りのぞみ號の速さは(わたしにすると)異様であつて、リニア・モーターの新幹線を聯想すると、恐怖のやうなものを感じた。どこかから異なるどこかへ行く際に掛かる時間は、その距離に比例するのは云ふまでもないとして、たとへば数百キロメートルに及ぶ大坂東京間に必要…といふより、適切な時間があるのではないか。などと考へる内、少し眠つたのだらう。車内放送で、定刻通り小田原を通過しましたと聞こえて、また驚いた。

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 驚きが覚める間もなく、我がのぞみ號は品川驛を経て、何事も無かつたやうに東京驛へと滑り込んだ。時計を見ると午后三時前である。たつた二時間半。尊敬する吉田健一東海道新幹線を、従來の東海道本線が空くだらうといふ理由で評価してゐたのを思ひ出した。それは確かにその通りだが、これだけ速いのである、止む事を得ない移動に限れば、有用な手段であるかも知れない。そんな風に考へを改めて在來線に乗つた。外はまだ明るかつたから、その足で飲みには行けないのは残念だつた。