閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1090 仕事帰りの獅子唐

 先日の晩、仕事帰り。

 馴染んだ(とこつちは思つてゐる)呑み屋に潜り込んで、一ぱい引つかけた。のどが渇いてゐたから、最初は麦酒、この店では黒ラベルを出す。かろく空腹も感じてゐたから、最初のお摘みには蛸の唐揚げ、それから箸休めを兼ねた塩キヤベツ。鶏の唐揚げを撰ばなかつたのが、我ながらしぶい。

 麦酒を干し、唐揚げ(蛸)をおほむね平らげた辺りで、串焼きが食べたくなつた。普段なら"おまかせ"の六本盛り…尤も私の場合、ぜんぶ塩で焼いてもらふ…なんだが、そこまで肉尽しの気分でもない。ホッピーと共にハラミと獅子唐を二本づつ、すべて塩で註文した。四本と六本なら、大して変らないと思ふだらうか。併し(一応は)野菜が半分を占めてゐるのだ、肉六本とはちがふ。

 獅子唐には時々、とんでもなく辛いのがあつて、私は"当り籤"と呼んでゐる。獅子唐の樂みと云つていい。その当り外れは見た目で判らないらしい。序でに何故、"当り籤"があるのか、理窟も判らない。鳥だの何だのに食べられてはかなはんと、自衛の罠を張つてゐるのか知ら。獅子唐研究家諸賢の知見を伺ひたいと思ふ。

 その謎はさて措いて、獅子唐には葱と並んで、下手を打つと生臭く、逆に焦げ臭くなる…要するに焼くのが六つかしい野菜といふ印象がある。水気や分厚、色々な條件のばらつきが大きいのだらうな。この晩の獅子唐は私好み。"当り籤"入りではなかつたけれど、ハラミの脂つ気とホッピーによく似合ふ出來で、私はすつかり満足したのであつた。