神無月の終りと云へば奥多摩の[小澤酒造]で催される藏開きで、ニューナンブにとつても大事な位置をば占めてゐる。詰りここから新酒の季節といふ認識になるので、たとへば2018年のボジョレー解禁日(11月15日)や、我われが本拠地と定める新宿の某居酒屋で品書きに新酒が載る時期(11月の後半から12月初旬にかけて)はどちらも、藏開きの後である。併しそんなのはニューナンブの都合でせうと冷静に云はれたら確かにその通りで、但し我われはニューナンブなのだから、ニューナンブの事情を重く視るのは当然だとも云へる。そのニューナンブが重く視る藏開きは10月20日。起床は5時40分。珈琲を一ぱい飲む。6時30分にラヂオ体操が始まるのを聞きながら家を出て、6時43分發、東西線落合驛から中野驛まで。そこから6時50分のホリデー快速に乗つて立川下車。7時半頃、立川驛構内の[清流そば]でとろ玉そば(温泉玉子とお揚げ半切れと天かす入り/380円)を朝めしにする。7時37分に立川驛發、8時28分の青梅驛を経由して8時42分に沢井驛下車。混雑を片目にうす茶と煙草を喫し、頴娃君との合流は9時20分。利き猪口を首からぶら下げて藏に入る。銘柄は以下の通り。
・しぼりたて(本醸造)
・しぼりたて(純米生原酒)
・本地酒
・大辛口
・蒼天
・東京藏人
・凰
・一番汲み
・特別純米
例年と異なるのは先づ“しぼりたて”が本醸造と純米を用意してきたこと。純米仕立ての方が旨いと感じたが、この2年ほど、しぼりたてなのにやんちやではないのが落ち着かない。もうひとつは、“特別純米”が最後にあつたこと。例年だと“一番汲み”が掉尾を飾るのに…は理由があつて、酵母が変更された。打ち割つたところ、“特別純米”は[小澤酒造]の銘柄で云へば、中位くらゐの格付けで、本來なら試飲を締める立場とは云ひにくい。そこを敢てさうしたのは、中位…即ち飲まれ易いところに力を注いだ[小澤酒造]の勝負だらうと思はれる。實際含んでみると、飛び抜けた点は見当らないとして、厳しく批判する点も見受けられず
「これは毎日飲むのに適してゐるのではないか」
「値段の点で留保は必要かも知れないとして、確かにこれくらゐが丁度宜しい」
ニューナンブが公式に認定する[小澤酒造]の銘柄は“蒼天”…味はひと価格の釣合ひが素晴らしい…なのだが、この“特別純米”はその坐に食ひ込める可能性を持つてゐる。
その足で“煉瓦堂 朱とんぼ”まで歩いた。“一番汲み”のにごり…新酒かつ濾過前…はここでしか賣られてゐない。入つてみると既に混雑してゐる。
「坐れるだらうか」
「六づかしいか知ら」
と云ひあひながらうろうろすると、爺さんふたり組が坐つてゐる卓子があつて、坐れますかと訊いたら大袈裟なくらゐの笑顔でどうぞと云つてもらへた。どうやら始めた計りらしく、罐麦酒でもつ煮なんぞをつついてゐる。我われがカメラをぶら下げてゐたからか
「ほほう。カメラマンですか」
「いやいやただの素人ですよ」と云ひかけたら頴娃君が「ちよつと知られたアマチュアです」と妙な冗談を飛ばした。この手の切り返しはわたしの苦手とするところである。交代で自分たちのお酒と肴を買ふことにした。頴娃君は“特別純米”にもつ煮と肉の塊、わたしは同じく“特別純米”に焼鳥と茸の天麩羅。やれ安心したと乾盃して爺さんの話を聞くと、ひとりは元警官(83歳)、もうひとりは元某社の営業(77歳)で、詰り我われの父親世代である。かういふ世代は戰後の混乱の中、やんちやをしたのだらうと思つて話を振つてみると果して
「新宿に軍隊キャバレーといふのがあつた」
と云ひだした。店に入ると軍服を着た兄さんが敬礼をしつつ
「いらつしやいませ、隊長どの」
と叫ぶのださうで、女の子にけしからぬ眞似をしたら、鐵拳制裁をくらひさうだ。この話をしてくれたのは警官爺さんで
「そんな場所に行つてよかつたんですか」
「立場といふものがあつたから、注意しなくてはならなかつたなあ」
などと惚けたことを云ふ。営業爺さんも出張にかこつけて惡さをやらかしたらしい。それでも
「全國を飛びまはつたけれど、島根鳥取と奈良には行つたことがない」
と云つたから大笑ひになつた。そのうち営業爺さんが席を外して、手洗ひにでも行つたのだらうと思つてゐると、“秋あがり”を抱へて戻つてきた。
「さあ、飲まう」
それでここから記憶が曖昧になる。“秋あがり”をご馳走になつたのはいいとしても、自分の早さではない飲み方になつたから、いきなり醉ひがまはつたらしい。途中から坐つた別の何人かと矢張り大笑ひした筈だが、何故大笑ひだつたのか。きつと下らない話だつたのだらう。
気がついたら藏の方に戻つてゐた。男児を連れたお父さんがゐて、寫眞だかカメラだかの話をした。わたしよりひと廻りより年少の筈なのに、フヰルム式のカメラに興味があるらしく、併し息子を撮るのには不便ですよと、そんな話題だつた気がする。それより男児は馴れない場所で落ち着かないのか、さういふ時期なのか、何をどうしても「だーめ」か「だめー」しか口にしないのがどうにも可愛いものだつた。わたしにはさつぱり解らなかつたが、その“だーめ”には微妙なちがひがあるらしく
「段々馴染んできましたよ」
さうなのかなあと思つたら、沢井の驛で眠り込んでゐた。場所がいきなり飛んでゐるのは、それだけ記憶が曖昧なのだと思つてもらひたい。といふか、頴娃君はどこだらうと気になつたが、けふは羽村市に泊る。はぐれつきりにはならないから、安心した。ベンチの直ぐ側に電車待ちをする数人組がゐて、何となく話を始めた。わたしより年長のご夫婦がゐらして、ご主人がいい具合に醉つてゐる。少し巻き舌気味(多分醉つた時の癖なのだらう)で、勿論一杯機嫌である。實のない話をしながら電車に乗り、ご主人は相変らず巻き舌で、奥さんは馴れてゐるのだらう、ひよいと頬をつまみ、迷惑でせう、はいこつちと云はん計りに顔を動かす。ご主人も素直に従つて、また巻き舌になる。いい光景だなあと思ひながら、羽村驛で降り、無事に頴娃君と合流出來た。
荷物を部屋に置いてから、近くのマーケットで買ひ物をした。買ひ物をしつつ、頴娃君から“一番汲み”のにごりが賣り切れだつたと聞いた。残念ではあつたが、こちらはすつかり忘れてゐたから、かれが忘れてゐなかつたことに寧ろ感心した。罐麦酒6本のパック、お刺身、ヒレカツに酢のものなんぞを買つてホテルに戻り、夜の部を始めた。いや始めた筈なのだが、ここに到つても記憶は曖昧なままで、いつの間にやら眠つたらしい。我ながらいい加減きはまりない。曖昧が覚めたのは翌朝に窓から射してきた朝の光を感じてからで、詰り朝の部である。前夜の余つた惣菜や朝めし用のばら寿司をつまんだ。尤も両のこめかみを鐵の棒が貫いたやうに頭が重くて、どうしても飲む気にはなれなかつた。ただ所謂宿醉ひのやうな気分の惡さでもなく、懸案について幾つかの合意と方針を得ることも出來た。
ホテルを出て羽村驛から拝島驛を経由して八王子驛で降りた。八王子夢美術館での[王立宇宙軍]展が目的である。驛前からぶらぶら歩くと、商店街だか何だかにテントが立ち並んでゐる。各地の特産品の即賣のやうな催しで、石和の[モンデ酒造]や甲府の[サドヤ]もテントの中にあつた。どちらもお世話になつた葡萄酒藏だが、その辺は後日の樂しみにしておかう。さうしたら不意に
「お抹茶は如何でせうか」
と聲を掛けられた。藏で抹茶と甘味を味はへますよと云ふ。どこに藏があるのだらうと思つたら、背の低い雑居ビルの群れの中に、申し訳程度の藏が埋もれてゐた。抹茶にも甘味にも惹かれるところがなかつたから、いやまあと抹茶だけにお茶を濁して、その場を去り、美術館に入つた。さうしたらそこかしこからシャッターの音がしたので、確かめると、撮影が認められてゐるらしかつた。設定画やイメージイラスト、絵コンテ、メモの展示なので、差支へなしと判断されたのだらうか。乱雑な手書きの文字はひどく讀みにくかつたから、讀むのは諦めた。ああいふのは手に持つて目を通すものなのだ。館内が案外に混んでゐたのには少し驚きを感じた。
美術館を出た頃にはこめかみに差し込まれてゐた鐵の棒は抜け、軽い空腹を感じるところまで回復してゐた。そこで八王子の驛にほど近い“W”といふ飲み屋の暖簾を潜つた。その前にちらと確かめると、朝10時から商つてゐるらしい。入つたのはお午を少々過ぎたくらゐの時間だつたが、既にいい気分の人びとが何組もあつて、これが八王子流なのかどうか。ここは7月1日(おそろしく暑い日だつた)以來の再訪で、その時はサイコロ・ステイクや鮪の盛合せ、苦瓜のちやんぷるーを食べた。その時も矢張り、一杯機嫌のお客が少なからずゐた記憶がある。さういふ人がゐるから、朝10時からの商ひが成り立つと考へると、八王子人には数奇者が多いとみても誤りにはなるまい。麦酒(アサヒ)で乾盃をしてから品書きをじつくり眺め、鰯のお刺身、玉子焼き(葱としらす)、鶏の唐揚げ、それからかんぱちの幽庵焼きを註文した。
「飲めるまで恢復したのだね」
「お蔭さまで」
「さう云へば、昨日の営業爺さん(77歳)はえらく醉つてゐたけれど、大丈夫だつたかなあ」
「さう云へば、昨日の警官爺さん(83歳)はけふ、宮古島に行くとか云つてゐたけれど、ちやんと飛行機に乗れたのかなあ」
さういふ話をしながら幽庵焼きをつまむと中々に佳い。但し麦酒向けの味つけではなかつたので
「やむ事を得ますまい」
と意見の一致を見もしたので、“順正”といふ銘柄を頼んだ。頴娃君はぬる燗、わたしは常温。これはまつたく正しい判断であつた。詰り旨い。併し分量に些かの不安が感じられたので、揚出し豆腐を追加した。これも期待に添ふ味。“W”の女将さんもお嬢さんも、愛想がよく更にいい気分である。互ひに目配せして、“順正”のお代りを註文した。綺麗に平らげて店を出ると午后の陽は暮れる用意を始めてゐた。