以前…と云つても昔と呼んでいいくらゐの以前…は、確かカメラショーとか、寫眞映像用品ショーとか、そんな名前だつたと記憶してゐる。本棚のどこかに2000年頃の型録があつた筈だが、どこに入れたものか、判らなくなつてゐる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、整理と整頓を怠るなかれ。
3月1日は金曜日だが、都合のいいことに休みであり、CP+の初日でもある。新製品にはそれほど興味を持たないわたしではあるが、今回は例外であつて、だから行くことにした。何が例外かと云ふと、リコーがGRⅢを出すからで、もしかすると新製品に昂奮するのは、オリンパスがE‐P1を發表して以來、およそ10年振りかも知れない。
GRⅢの詳しいスペックは、知りたければ幾らでも調べられるから、ここでは触れない。但しカメラ史を振り返つて、これだけ息の長い機種群は少ないと思はれる点は話題にしておかうと思ふ。
源流の水源まで辿ると、1994年のR1に到る。30ミリレンズを固着したフヰルム式のコンパクトカメラ。翌1995年に改良型のR1sが出て、更に1996年にGR1が出る。GR1は同sと同vを経て、2005年のGRデジタルに繋がる機種で、GRⅢから見れば直接のご先祖にあたる。この間の派生機種(たとへばGR21)や系統の機種(たとへばGX200)を含めると、膨大になるから、そこまでは踏み込まない。併しGRデジタル4機種、GR2機種と續く直系を見るだけでも、その眺めは壮観と呼ぶに値する。1機種あたりの現行期間は及ばないものの、これだけ大きな系統樹を描けるカメラは、外にライカくらゐではないかと、わたしは半ば本気で思つてゐる。
とは云ふものの、直近の2機種…GRとGRⅡはどうも気に入らなかつた。その前のGRデジタルⅣから受光部を大型化させ、大型化させつつ従來の操作系を保たうとさして、その方針自体は素晴らしいとして、結果としてスタイルが崩れて仕舞つた。ほんの何ミリかのちがひなのだが、元々がコンパクトに作られ、ほぼ完成に到つたGRデジタルから見ると、その何ミリかは全体のバランスを壊すのに十分なちがひだつたと云つてもいい。それで性能が劇的に向上したのだから、許容するべきでせうと反論するひとは丸で解つてゐない。この手のカメラは無造作、或はルーズに持ち歩くものだから、さういふ機械は先づ、スタイリングが優れてゐなくてはならない。この場合の“優れた”は手と目が納得出來るといふ意味で、その点から見るとGRとGRⅡは気になりこそすれ、無理をしてまで手に入れたいとは思へない。
そこにGRⅢが發表され、最初にどこで目にしたかは忘れたが、昂奮を感じた。どうしても折合ひのつかなかつたスタイリングが許容出來るところまで改善されてゐたのがひとつ。更にフラッシュが内蔵されてゐないのがいい。フラッシュを使はないわたしにとつて、これは朗報である。画像を見た限り、無駄遣ひを控へるに値するカメラが本当に久しぶりに出てきた気がされる。いや冷静を気取つたけれども、咄嗟に慾しいと思つたのが實際だつた。併し辛うじて残つた冷静の部分が、兎にも角にも實物を見て、手に持つてからだと云つてきた。まことに尤もなことで、CP+に行かうと思つたのは、さういふ事情があつての話である。
そのCP+の会場はパシフィコ横浜で、わたしの家からは渋谷を経由し、東急からみなとみらい線を使ふ。念の為に確かめてうんざりした。はつきりした理由はないが、池袋と同じくらゐ、渋谷は気に入らない。行けば馴染むといふ考へ方もあるだらうが、池袋は2年ほど通つた時期があつて、最後まで馴染まなかつたから、渋谷もさうなのだらうと思ふ。どうしても渋谷経由が厭なら、旧國鐵で桜木町に出る方法もあるが、パシフィコ横浜まで少し距離がある。あの辺はまつたく不案内なので歩く距離は短い方がいい。なので経由驛に文句をつけるのは止めと決めた。中々冷静な判断でせう。山手線渋谷驛で降りると薄暗い。上を見ると養生が施されてゐて、併し工事の様子は感じられない。ちつとは綺麗にしても罰は当らないだらうと思ひながら東横線に乗換へたが、何番線を使へばいいか、少々戸惑つた。案内看板が不親切だからで腹が立つ。外國語で驛名を表示する前の工夫が足りてゐないと立腹した。尤も乗つてしまへばこちらのものだから、そんなことは気にならなくなつた。
みなとみらい驛で降りてパシフィコ横浜に向つて歩いてゐると、ライツのズミタールをつけたねぢマウント・ライカを持つた女性とすれちがつた。ズミタールと断定出來るのは、特徴的な折畳み式のフードが目に入つたからで、余程のライカ好きなのか、余程のライカ好きが知人にゐるのか、判断に迷ふところである。会場に到着して取敢ず煙草を吹かした。喫煙所がひとつきりだつたので、CP+も非文明的になつたなあとうんざりしてゐたら、ニューナンブの頴娃君から受付を終へたよと連絡があつて、少し計りあはてた。会はうよとは云つてゐたが、早すぎる。急いで合流するか…いやこちらの目的はGRⅢである。待つてもらはうと腹を括つて、タッチ・アンド・トライに並んだ。待ち時間は約30分。普段なら絶対に並ばないところだが、腹を括つたのだから型録を貰つて待つことにした。カメラの型録は大体、詰らないのが通り相場である。期待せずに眺めたら、28頁に渡る豪華なそれは、スペックの紹介を除くと、無駄な文字がまつたく無くて…こんな風に撮れますよといふ寫眞だけで構成されてゐる。その寫眞についての論評はまあ、避けませう…感心した。
順番がきたので手に取つてみる。手触りはやや安つぽいか。併し色々なひとが触つた後だから、体温が残つてゐる可能性もある。この辺は差引きしておかう。お願ひしてGRⅡを出してもらひ、較べると明らかに小さくなつてゐる。リコーのひとが云ふには
「フラッシュを外したのと、レンズの構成を見直したのが大きいです」
とのこと。上から眺めると少々分厚いかと思はれたが、GRデジタルⅣ用のケイスにすつぽり収まつたといふ。センサーサイズのちがひを考へると、これは大したものである。使ひ勝手は信頼してかまはないからそこは飛ばして、気になつてゐた埃が入り易い問題と、レンズ・カヴァの開閉が駄目になり易い問題(GRデジタルで散々云はれた)がどうなつてゐるのかを訊いた。リコーがその点を把握してゐたのは当然で
「確かにその問題はありました」
と過去形で認めた。併し認めつつ、GRⅢでは両方とも解消させてゐますとも云つた。自信がありさうな口調だつたから、随分と文句を云はれたのだらう。さうなると、どうしたつて、買はないぞといふ判断には到らない。これから無駄遣ひしないと決めた。
頴娃君と合流してから、会場内をぶらぶら歩いた。金曜日なのに混雑してゐる。暇なひとが多いのだなあと思つたが、それはわたしも同じだし、仕事で來てゐるひとだつて、少なからぬ数であらう。頴娃君も半分くらゐは仕事らしく、ビクセンやケンコーの双眼鏡を熱心に見てゐる。こちらはそんなことをしなくてもいいから、コーワのプロミナー・レンズ(8.5ミリ/12ミリ/25ミリの3本)を触つたりしてゐた。マイクロフォーサーズ規格なので、手持ちのパナソニック(GF1とGF3)でも使へるが、多分レンズの性能を引き出すのには力不足だらう。仮に使ふとしたらレンズ3本で35万円弱にフラグシップ機が必要になる。なので入手は諦めることにした。こんな時の判断は速い。
ハクバやエツミのアクセサリを冷かしながら、ペンタックスを覗くと、妙なスタイルのKPが展示されてゐる。参考出品のカスタマイズモデルで、話を聞くと社内の公式なルートで企画されたものではないらしい。輸入したオーク材でグリップを作り、ペンタプリズムにカヴァ(アクセサリ・シューを用ゐて固定する)を取りつけ、マウント部にはコーティングまで施してある。
「このコーティング、ノーマルのとどうちがふんですか」
さう訊ねると、實に素早くまた力強く
「恰好いいんです」
と答が返つてきたから大笑ひした。その後で腕時計の前面硝子部分に使ふコーティングを応用したので、ノーマルなそれより擦過に強いんですと説明はあつたが、またそれは實際的な事情でもあるのだらうが、採用した大きな理由は矢張り、コーティングした時の、獨特の黒ずんだ色合ひではなかつたかと思はれる。發賣されるかどうかは曖昧な様子だつたけれども、出すんだつたら旧式のペンタックスレンズも似合ふスタイルも検討してくださいなと希望は伝へておいた。
外に出て関内の方向を目指した。途中にWといふ居酒屋があつて、2年ほど前、偶々入つたら旨い店だつた。久しぶりにそこで一献傾けませうといふ算段である。それで最初に麦酒を呑んだ。アサヒのスーパードライ。些か冷しすぎな感もあつたが、パシフィコ横浜内が蒸し暑かつた所為か、おそろしく美味く思へた。さて、空腹でもあるし、何を食べませうかね。
菜の花のちやんぷるー。
串焼き(おまかせ5本)
鶏の唐揚げ。
麦酒の後は、残波の水割りを経由して、順正の常温を。頴娃君は髙千代だつたかを呑んでから、順正を温燗で。
肴はほつけ焼きに螢烏賊の酢味噌和へ、鮃のお刺身を追加。この酢味噌が宜しい。初めてWに入つた時、何だつたか知ら、兎に角山菜の酢味噌和へを食べて、えらく感心した覚えがあつたから註文したのだが、記憶に誤りはなかつた。小聲で云ふと烏賊それ自体は、まあこんなものかと思へるくらゐだつたのを、酢味噌に巧く引き立ててもらつたと云へなくもない。
實はこの辺りから、記憶は甚だ曖昧になる。考へるまでもなく醉つたからで、自覚はしてゐたものの、余程お酒に弱くなつてゐる。何かいい話をしたかも知れないし、ニューナンブでの遊びをどうするかといふ話をしたとも思はれるが、記憶が断片的だから、その辺は口を噤むのが安心といふものだらう。断片の一部を云ふと、気がついたら京浜東北線で品川驛に到着してゐた。詰りWを出てから無事に帰途に着けたらしい。我ながら乗り過さずに済んだのは大したことだと思ふ。眠り込んではいけないから、坐らずに東中野驛まで移動したのだらう。翌土曜日は頭にお酒の残る感じはしても、自宅で目を覚ませたのを根拠にかう云ふのだが、多少怪しい。スマートフォンの画像フォルダを見ると、水餃子が寫つてゐて、それが深夜の時間帯であつた。どこかで醉ひ醒ましと称して、食べたのではないかと想像するが、どこに寄り道をしたのか、すつぽり記憶から抜け落ちてゐる。