閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

597 地麦酒カメラ

 スマートフォン(のカメラ機能)がコンパクト・デジタル・カメラを駆逐して随分と経つ。ほんの少しの機種が、細々と残つてはゐるが、事實上、絶滅したと云つていい。と書いたらきつと、リコーのGRやソニーのRXがあるぢやあないかと反論が出るだらうが、あの辺の機種群は、コンパクト・デジタル・カメラの姿にデジタル一眼(レフ)の一部を移植したものだから、位置附けは少々異なる。

 当り前と云へば当り前で、コンパクトでないのも含め、デジタル・カメラは、スマートフォンでは無理な撮影を担う方向に進んできた。高倍率、或は明るい光學ズームや大型の受光素子はその實例で、それはどうしても大型化に繋がる。さうなると、持ち出すのが面倒になるし、もつと云ふと、それらが必要になるのは限られた場面だから、大体のところはスマートフォンで十分だとなりかねない。いや實際さうなつたから、コンパクト・デジタル・カメラは絶滅したんである。

 では絶滅したままでいいのか。と云へば首を傾げる余地が多少は残されてゐる。わたしくらゐ齢を重ねると、カメラに求める條件は、小さく軽いのが最初に上がる。その為のスマートフォンだよと云はれても、あの撮影機能は云はばおまけである。おまけの機能が優れてゐて、困りはしないが、主に使ふ"カメラ"の地位は与へにくい。

 念を押すと、スマートフォンのカメラ機能を主に使ふべきではない、と主張する積りは毛頭無い。さういふひと、さういふ考へはあつてよく、こちらはそれに与しないだけのことである。わたしがコンパクト・デジタル・カメラを慾するのは、スマートフォンの代りに常用出來るカメラが見当らなくなつたからで、先祖返りと突つ込まれるかも知れない。

 

 ここからは面倒なので、コンデジと省略しますよ。ソニーサイバーショットといふコンデジがある。ウェブ・サイトを見ると、今も何機種かは用意してゐるから、"あつた"と過去形にはならない。廿一世紀が始つた直後だから、ざつと廿年ほど前、そのサイバーショットにUと呼ばれる一群があつた。マーケットのお菓子賣場にある、小さな羊羹程度の大きさで、百万画素とか二百万画素とか、そんなところ。買つて暫く使つた記憶がある。

 凝つたことは何ひとつ出來なかつたが、ふたつの理由で気に入つた記憶がある。第一は乾電池で動いたこと。充電に気を配らなくていいから安心の度合ひが高かつた。第二には、スライド式のレンズ・カヴァが電源を兼ねてゐたことで、指先でくつと開けつつ、そのまま撮れるのはよかつたのに、この方式は、ソニー以外のコンデジで余り見掛けなかつた。特許でもあつたのかどうか。

 勿論ひと口羊羹めいた大きさに、最も好感を覚えたのは、云ふまでもない。シャツの胸ポケットに入れても、不快を感じなかつたのは、流石に記憶の改竄があるかも知れないが、さう感じるくらゐの小ささであつたのは間違ひない。尤も当時のわたしはその小ささを、単に"恰好いいなあ"としか感じてゐなかつた筈で、ただその"恰好いいなあ"は、頭の隅に残りもしたらしい。

 何年か経つて、今度はニコンコンデジを買つた。クールピクスのSに含まれた、小さな石鹸くらゐのやつ。八年ほど前の機種と思ふ。サイバーショットと大きく異なるのは、ズーム・レンズを採用し、電池と記録媒体を内藏したことか。この頃には既にスマートフォンが出回り出してゐたが、電池は保たず動作は遅く、カシオかソニー・エリクソンの携帯電話を使つてゐたわたしは、乗り換へる気になれなかつた。

 それでポケットに突つ込めるコンデジといふ大義名分…目的が出來たから飛びついたのである。長くは使はなかつた。サイバーショットUに較べて、細々設定を弄れるのは惡くなかつたが、電源を切るとすべて標準に戻つたからで、ことにフラッシュが自動發光になるのは(わたしは原則としてフラッシュを使はない)我慢ならなかつた。後継機でその点は改善されたさうだが、最初の印象が印象だつたので、手を出すのは控へた。この手の機種はまた思ひついて出す会社があるだらうと思つたのも、もしかすると理由かも知れない。

 

 あまかつた。

 出なかつた。

 

 まだまだ使ひものになるには時間が掛かると思つてゐたスマートフォン(のカメラ機能)が、一気に使へるまで、あつといふ間だつたし、それを使ふ為のサーヴィスの拡大が急激でもあつた。その変化の具合は、レコードがコンパクト・ディスクに置き換はつた時より烈しかつた。レンタルしてカセット・テイプに録音したもので…と云ひだすと、話が果しなく逸れるので、そこは止める。

 繰返すと、小さくて軽い、ナチュラルな広角のレンズを載せたカメラが慾しい。ここで云ふ小ささ軽さは先に書いた、胸ポケットに収まるくらゐを指す。キヤノンがiNSPiC RECといふ機種を出してゐるが、あれは玩具すれすれだから、もうひとつ踏み込めない。キヤノンの名誉の為に云へば、iNSPiC RECの玩具さは意図されたものである。あの會社は不意に奇妙な(コンセプチュアルと云へば恰好は附く)カメラを出す癖があるらしく、七年ほど前に出したPowerShotNもさうだつた。大手の麦酒會社…サントリーだつたと思ふ…には、地麦酒(的な商品)を醸る部門があるさうで、キヤノンにも似た部署があるのか知ら。

 各社の内部事情はさて措くとして、小さな受光素子と暗いレンズを組合せ、フラッシュを外し、冩眞撮影に特化した機種なら、造るのは大して六づかしくなからう。撮影は全自動を前提にして、縦横の比率の変更に、カラーとモノ・クロームの切替へが出來ればいい。レンズが飛び出さず、十センチメートルまで寄れれば望ましい。これだつたら過去の枯れた技術の転用は容易だらうから、廉な値段も期待出來る。

 メーカーのひとはきつと、それは賣れません云ふだらう。眞面目なだけのコンデジなら、出來がよくても賣れるとは思はないが、さうではない"使へる小道具"でなら、コンデジの入る余地はある、といふより余地を作れる。生眞面目な設計者から厭な顔をされさうで、小道具性に重きを置けば、機能性能を包むスタイリングに目を瞑れなくなるから、厭な顔をする気持ちは解る。残念ながら、スタイリングは、チームで念入りな會議を繰返したところで、完成に近づくわけではない。よい惡いの話ではなく、スタイリングは本來、さういふ性格を持つてゐるのだな。スティーブ・ジョブズの獨裁はスタイリングの面に限れば正しかつた。さう考へると、云ひたくはないが、今のカメラ會社に期待するのは六づかしい。地麦酒式に造られたコンデジがあれば、飛びつきたくなるひとは、少からずゐると思ふんだがなあ。