閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

274 男色葷

 不許葷酒入山門と書いて、葷酒山門ニ入ルヲ許サズと訓む。山門はお寺の正門…転じてお寺そのもの(禅寺が多いさうだが)または修行の場の意。葷酒の酒があのお酒なのは云ふまでもない。現代風に云へば“持込み禁止”くらゐのところか。それなら葷酒の葷は何を指すか。日本大百科全書(ニッポニカ)から“葷酒”の“葷”の部分だけ抜き出すと


 辛味や臭味のある野菜と酒。葷は五葷、五辛(ごしん)ともいい、ニラ、ネギ、ニンニク、ラッキョウ、ショウガの類。その臭気や、それを食べることによって生ずる色欲や怒りの心を避けるため、仏教では食べることが禁じられた。


とある。解らなくはないが…いや矢張りよく解らない。“その臭気”はまだいいとして、“それを食べること”でどうして“色欲や怒りの心”が生じるのか。牛蒡や大根、蒟蒻だつたら、“色欲や怒りの心”は生じないのか。因果関係が甚だ不明瞭である。寺僧に訊いたところで、禅問答のやうにしか説明してもらへないだらうな、きつと。想像は併し出來なくもない。想像だから信用されては困るけれど、葷は一種の精力剤と看做されてゐたと思はれる。


 ここでいきなり話を逸らすと、我われのご先祖は性愛にひどく寛容であつた。中でも特筆していいのは同性愛で、古代のギリシアにも“少年愛”といふ考へはあつたが、あれはどちらかと云ふと、“有髯の大人が、無垢の少年を育てる”面が強い感じがされる。対する本邦のそれは直接的な性愛で、源頼朝が鎌倉に武張つた政権を樹てるまでは、政治の(重要な)側面ですらあつた。鎌倉以降だつて禁忌になつたわけでなく、堂々とした性的嗜好とまでは呼べなくても、男色はある種の嗜みと認められてもゐた。頽廃的と呼ぶべきか、大らかと笑へばいいのか。勿論寺門が例外であつた筈もなく、寧ろ俗世間から離れてゐる分、男色趣味は色濃かつたのではなからうかとも思へる。痴話喧嘩もあつたらうな、きつと。さういふ背景を考へ、葷…韮葱大蒜辣韮生姜は情慾を滾らせる材料に成り得るとも気がつけば、山門が“持込み禁止”の看板を掲げたのも無理はないと納得がゆく。


 併し我われは、葷がまづければ看板をわざわざ立てなくても構はないよなあ、と指摘する必要はあるだらう。實際のところ、韮葱大蒜辣韮生姜はどれもこれも旨いもので、たとへば葱抜きの饂飩や生姜抜きの冷奴は頭に浮べるのも六づかしい。そこに韮入りの玉子焼きに大蒜をきかせた炒めものと辣韮漬けがあれば、五葷の食卓は万全と云つても差支へはあるまい。贅沢を望めば隣にひと椀の般若湯を用意してもらひたい。きつと二時間くらゐは覚りの境地に浸れるだらう。こんな安上りの大悟もなく、山門の連中もあはれなものだと云ひたくなる。尤もその間、我われは宿醉ひにまで考へが及んでゐないから、翌朝には佛さまに手をあはせる破目になる。さうすると矢張り、葷酒を山門の奥に入れてはならぬと決めた僧は、中々えらい人物だつたと考へを改めねばならないか。もしかすると、自分の男色好みに困り果てた挙げ句の規則だつたかも知れないけれども、それはそれでえらい。