閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

461 取り込みと取り出し

 この手帖をちよいと休む事にした。

 おほむね月水金曜日に更新をしてきたが、話の種がどうも不安になつてきたからである。實に判り易い事情でせう。こんな場合に素人といふ立場は有難い。併しそれだけだと何だか安直な態度と思はれる。安直なのは事實だから、正面から反論はしないとして、恰好は少しつけておきたい。

 

 とんかつを論じたいとしませう。この時にとんかつの事だけを調べても、文章にはしにくい。豚肉の調理法だの、揚げるといふ技法やそこで使はれる食べものだの、我が國での食肉史や畜産史だの、さういふ事どもをある程度は知つておかないと、話を広げにくい。たとへば

 「どこそこにある何々といふお店のとんかつは、何とか豚を使つてゐます。自家製のパン粉と獨自に案配した油でじつくりと揚げてあつて、衣はざつくりしてゐるのに、お肉はしつとりとジューシーな出來上り。手作りのソース(お味噌が隠し味ださうですよ)で食べると、何とか豚の脂のあまみが口の中を満たして、とんかつを食べる幸せつて、かういふ事なんだなと思へるのです」

といふ程度なら(自分ででつち上げて云ふのも何だが、實に気持ち惡い文章になつたが)、そんな準備は要らない。だがそんな準備が要らないなら、わたしが書かなくてもたれかが書き流す筈で、わたしが書かなくてもかまふまい。

 とんかつについてその周辺と、また関連しさうな事を調べて論じたい場合、調べた事の大半…体感だと七割以上は書かない。文章にした部分に溶け込ませてある。カレーに使ふ玉葱の微塵切りのやうに。我ながら気障だなあ。

 

 とは云へその気障を押し通さうとすると、自分の中に取り込む量に対し、自分の中から取り出す量が圧倒的に減る。玉葱の微塵切りを時間を掛けて炒めると、笊一杯に刻んだ筈の玉葱が信じ難い分量になつてしまふやうなものだ。それ自体を苦痛とは思はないけれど、大坂言葉でいふ"エラい"…大雑把に"疲れる"とか"面倒な"くらゐの語感…過程であるのもまた本心であると白状しておく。

 冒頭で云つた、話の種の不安には、書く事が無いといふ事情以上に、取り込みと取り出しの過程を、今の早さで續けるのに無理を感じてきた面がある。無理をすれば出來なくはない、と裏返せもするが、無理をする必要があるのかどうか。それでこの手帖が詰らなくなつたら(我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にとつてといふより、書き手であるわたしにとつて)、その無理は不要を飛び越し、害毒であらう。休まうと判断した理由を、恰好よく云へばさういふ事になる。なので更新そのものを(暫くにしても)止める積りはない。更新の頻度をぐつと下げて、取り込みと取り出しに掛ける手間、時間を増やしていかうと思つてゐる。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、諦め…訂正、改めて気長なお附合ひを御願ひ奉りまする。