閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

563 愚か者の物慾

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は外題を見て、何を今さら云ふのだと苦笑ひを洩らしたにちがひない。わたしも今さらだなあと思ふ。こんなところで気が合つても、仕方ないのだけれど、まあそれも仕方がない。

 
 リコーのGRデジタルⅡを手に入れて、満足…が妙なら、無邪気に歓んだのはごく最近のことで、併しもつと最近、GRデジタルⅣが(ちよいと)慾しくなつてきた。これが今回の外題に纏はる裏話。
 
 GR1から續いた流れの、ひとまづは"完成形"である。
 
 わたしはGRデジタルⅣをかう位置附けてゐる。異論反論が多々あるだらうとは判るが、そこは
 「そんな考へ方もあるのだな」
さう受けとめてもらひたい。ぢやあ何が"(ひとまづの)完成形"なのだとも云はれさうで、それには
 「あの受光素子の大きさで出來る(だらう)GRデジタルの終着点ではありませんか」
と云つておかう。
 
 かう書いてから、おや、どうやらGRデジタルに、おれは何か決つた…ではなくとも、一定の印象を持つてゐるらしいと思つた。何なのかはよく判らない。
 
 掌に適ふ大きさとか、ニュートラルな広角レンズとか、寄つて撮れる機能とか、継續性のある部品の配置とかのひとつひとつでなく、それらの纏りが、GRデジタルである。
 
 大雑把にさういふことかとも思ふ。それで次の世代…"デジタル"無しのGRが、受光素子の大型化に伴つたリ・スタートの機種であることも含めれば、GRデジタルⅣを"(ひとまづ附きの)完成形"と見て、をかしくはなからう。
 
 とは云ふものの、手に入れてどうするのか。
 手元には既にGRデジタルⅡがあり、ゆつくりと使ひもしてゐる。追加する理由を見つけるのは六づかしい。
 いやGRデジタルⅡよりは實用的でせうと指摘されれば、すりやあさうだと頷きはする。頷きはするが、そんなら現行のGRを買ふ方がよつぽど實用的だし、慾しくもある。
 
 實用だの何だのを蹴り飛ばして、要するに(ちよいと)慾しいだけ…物慾なのだ。
 さう居直ることも出來る。友人がGRデジタルⅣの白いやつにコシナフォクトレンダーの小さなファインダを附け、革のケイスに入れたのを使つてゐるか、ゐたかでそれがどうも恰好よく思つたのを、一応の理窟に挙げてもいいが、今に到る直接の切つ掛けとは呼べない。
 
 少し眞面目に云へば、わたしにとつて、カメラの小ささ軽さは、齢を重ね、無視出來ない要素になつてゐる。正確には
 「持ち出すのに負担を感じない」
のが最優先もしくは前提の條件であつて、この負担は気分も含む。現行のGRⅢが小さく軽いのは認めるが、十万円近い物体は無造作に持ち歩きにくい。貧乏性と笑はれるか知ら。
 
 ここから再び屁理窟に戻ると、上に書いた要素を満たし、気分の負担も軽い、またそこそこ冩る…と考へた時、GRデジタルⅣは中々魅力的である。
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(画像はリコーのウェブ・サイトから拝借)
 
 いや上の画像で"そこそこの冩り"と評するのは誤りか。わたし程度が使ふには今も十二分であつて、であれば手に入れて損にならないのは確實と思はれる。
 
 尤も入手した場合、気に入つて使ふ、使ふ内に再スタートを切つたGRが気になつて、近い世代のニコンCOOLPIX Aと富士フイルムのX-70も気になつて、勿論GRⅡとGRⅢが気になつてくるのは容易に想像がつく。愚者の物慾とはさういふものなんである。