閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

529 ナマ煮え

 松平治郷。出雲松江のひと。十八世紀頃の大名で、法號を不昧といひ、不昧公とも呼ばれる。政治家としては三流…二流が精々だけれど、茶人として第一級の高名であつた。あつたと過去形にするのは誤りかも知れない。

 その不昧公が好んだらしいのが鯛めし。一種の汁かけごはんですな。鯛、玉子、大根おろし、山葵を種に、胡麻と醤油で調味して、出汁またはお茶で頂くさうだが、茶人の頬を綻ばせたのが、かういふ作り方だつたのかどうかは、はつきりしない。土鍋で作る鯛の炊きこみごはんも鯛めしと呼ばれるし、そもそも不昧公が汁かけごはんを好んだのは間違ひなささうとしても、ざつと調べた限り、鯛めしと大名を繋げる史料や逸話は見当らなかつた。

 鯛をどんな風に準備しておくかが先づ曖昧である。焼いてほぐしたり、そぼろにしたりもするさうだが、土鍋で炊きこみごはんに仕立てるのも鯛めしと呼ばれるから、曖昧といふより不可思議にも思へてくる。そこで辻嘉一の『料理のお手本』を見ると、"鯛茶"の名でこんな記述がある。

 

 醤油に、すり鉢ですったゴマをとかし、さらにワサビを入れてまぜ合わせ、ドロリとしたものを作ります。これに鯛の刺身を漬けて三分ほど置き(中略)、あたたかい御飯の上にのせ(中略)玉露茶をほどよくそそぎ、ふたをして二、三分むらしてから食べます。

 

 料理人は色々の作り方があるのを認めつつ、"これが一番どなたにもお口に合うでしょう"とも書いてゐて、成る程、云はれてみたらそんな気がする。尤も不昧公の当時、鯛をお刺身にする技術があつたものか。あつたとしても、それだけ新鮮な鯛…辻もその点は念を押してある…を扱へる機会がどれほどあつたものか、疑念は残る。

 ひとつ思ひ出した。何で讀んだものか、檀一雄もお刺身を使つた茶漬けについて触れてゐた。熱いごはんに鮪の刺身を乗せ、山葵と焼き海苔、そこに熱いお茶を注いで、ナマ煮え(と書いてゐた気がする)のところを樂むのださうで、實にうまさうに感じられた。更に思ひ出したのは"新橋茶漬け"…想像出來るとほり、どこかの呑み屋の一品…で、こちらは吉田健一が書いてゐた。檀が触れたのとほぼ同じで、お茶の代りに出汁を用ゐ、胡麻を散らすといふ描冩があつたと思ふ。銀座で散々呑んだ後、"ナマ煮え"をやつつけるのは、堪らない樂みだつたらうな。松江の殿さまはご存知だつたらうか。

 かう"ナマ煮え"を褒めてから云ふのも何だが、一方わたしは海鮮丼を好まないなと気が附いた。当り前の話で、温かい酢飯に刺身を盛りつければ海鮮丼である。ぬるくなつたお刺身ほど困つた食べものは無いでせう。冷ました酢飯を使ふのもありますよと反論されるかも知れないが、それは散らし寿司と呼ぶ。鯛めし(乃至鯛茶)は、温かくするのが前提だから、海鮮丼のやうにどつちつかずではない。ただ、"ナマ煮え"でうまい鯛なら、塩焼きで食べる方が間違ひなくうまくもあつて、さう考へると、焼きほぐしたりそぼろにはせず、お刺身を用ゐる鯛めしは、茶人大名に似合ひの贅沢(とは妙な云ひ方になるが) と思はれる。

 

 ところで。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に叱られるのを承知で書くと、不昧公流にせよ辻留式にせよ、鯛めしを未だ、わたしは食べたことがない。お刺身用の鮪や烏賊を、醤油と大葉(千切り)で、手を抜いた漬けを試したことはある。惡くはなかつた記憶はあるが、大してうまくもなかつた。熱いごはんと熱いお茶で、"ナマ煮え"仕立てにしなかつたのが失敗だつたか。機会を作つて試してみなくてはなるまい。不昧公からは、今さらかね、と笑はれさうであるが。