閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

901 謎の背景

 さう云へば随分と長く…さう、四半世紀くらゐ、オムライスを食べてゐない。私が云ふのは、ライスと刻んだ鶏肉と玉葱をケチャップで炒め、薄焼きの玉子で包み(或は被せ)、上から更にケチャップをかけたやつ。デミグラス・ソースをかけたのもあつて、そつちは特別だつた。旨かつた。食べなくなつた事情は、自分でもよく解らない。

 名前から察せられるとほり、洋食…西洋料理ではなく…である。明治の終り頃から大正にかけてのいつか、どこかの洋食屋で成り立つたらしい。賄ひ料理だつたとの説もあるが、實際はどうだつたか、例によつて曖昧である。叉オムレツとライスでオムライスだ、と名附けたのがたれだつたかも、よく判らない。ビフテキ、トンカツに並ぶ優れた造語なのに、勿体無いなあ。

 併しオムレツとライスをあはさうとする發想は、どこから浮んできたものか。卵かけごはん…明治頃にあつたのは間違ひない…の転用かとも思はれるけれど、それなら寧ろ、散らし寿司にあしらつた(錦糸)玉子を想像したくなる。

 或は丼めし…親子丼かも知れない。淺く広めのお皿にごはんを盛り、堅めに仕立てた頭の部分を乗せれば、オムライスの遠縁の親戚程度に似た見た目になりさうである。根拠があつての話ではないから、差引きの必要はある。とは云へ、西洋料理が洋食に変化するのに際して、明治以前の料理の技法が影響しなかつたとは考へにくい。

 何しろ我が國の食事はごはんが強すぎる。ポーク・カットレットが結局、一品料理ではなく、とんかつ定食とかつ丼とカツカレーに収斂したのは、間接的ではあつても、象徴的な 事例と云へる。翻つて仮に上等のオムレツが供されても、我われはきつとその隣に、ひと皿のライスを求めるのは間違ひないし、そこに丼めしの傳統…要素が混ざつたら、オムライスまで残るは半歩一歩でせう。さういふ背景が(意識にあるかどうかは別として)あつて、洋風親子丼即ちオムライスが生れたんではないか。或日、コンビニエンス・ストアのオムライスを食べながら、そんなことを考へた。コンビニ製だから、オムライスを食べた数には入らない。