閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

540 好きな唄の話~BAD

 マイケル・ジャクソン本人はミュージック・ヴィデオではなく、ショート・フヰルム、詰り短篇映画と呼んだといふから、"曖昧映画館"で触れるのが本來かも知れない。全篇で十五分余りに及ぶこのヴィデオ…訂正、フヰルムの監督はマーティン・スコセッシ。『タクシー・ドライバー』や『レイジング・ブル』のスコセッシと云へば判り易いか。

 ドラマ。

 唄。

 ドラマ。

 といふ構成。ドラマの箇所は歌詞に繋げられてゐる。唄の部分だけをカラーにしてゐる工夫が、この場合、継ぎ目の不自然わざを、場面の効果的な変転に感じさせるのも巧い。舞台裏は知らないが、かういふ手法(の少くとも大筋)はスコセッシが主導したのではなからうか。何度観ても、作り方は映画だし、マイケルの偉大な才能はポップの方向であつて、ムーヴィではなかつた。

 

 歌詞の意味はよく解らない。

 理解が及ばないのではなく、米語が駄目だからである。

 尤もドラマ部分の陰鬱な画を観、また最後に爆ぜる"Who's bad"の繰返しを聞けば、明るくて花やかなアメリカン・ポップでないのは直ぐに解る。またポリティカルな印象を抱かざるを得ない瞬間もあるのだが、そこを映像やダンスで捩ぢ伏せるのがマイケルの凄さであるか。

 ここからは好みの話。なので異論反論か出るのは承知で云ふと、『Black or White』や『Smooth Criminal』には映像の美事さはあつても、それはテクノロジーの面に留まつて、歌詞と映像と演出の纏まりには欠ける気がする。だとすると『BAD』は、『BEAT IT』或は『Thriller』の系譜を受け継いだ、また集大成のやうなショート・フヰルムであつたと位置附けてよささうに思ふ。時々、ああいふのをまた観たいと考へるのだが、どの國のポップ・スターがどんな監督と組んでも、マイケルと比較されるのは間違ひないし、その批評は辛辣になるだらうから、作りたくても手を出しかねるのではないか。さう考へれば、ミュージック・ヴィデオのある部分を完成さして仕舞つたのが『BAD』だと云へなくもない。