閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

1020 物慾の埋み火

 先日、某カメラ屋で、(所謂)標準ズームレンズが附いた、EOS R50に触れた。手が余るくらゐに小さく、拍子抜けするほどかるい。驚いた。

 EOSはフヰルムの時代に馴染んだ。ニコンのF系やミノルタのα系と較べて軽やかで、操作のインタフェイスに統一感があつたのを覚えてゐる。

 デジタルの一眼レフになつて、興味が失せた。ぼつてりしたスタイリングが、どうにも気に入らなかつた。D系になつたニコンや、ソニーに移籍したα系も、同じだつたけれど。

 失せた興味が、EOS Rの發表で戻つた。ことにRPが気になつた。キヤノンが過去に出した、距離計聯動式のPを聯想したのは、手元に一台、不完全な状態のPがある所為。旧いPは、ポピュレールの頭文字を取り、EOS RPのPは、そのキヤノンPに因んだといふ。即ち大衆機。成る程ねえ。

 尤も私の目にそのRPは、巨きく映り、値段も大衆的には思へなかつた。撫で肩で頭頂部のひくいスタイルが、スマートに感じられなくもあつた。序でにその時点で、レンズのラインアップは貧弱でもあり、だから手を出さなかつた。

 それ以前に、私の手元には、マイクロフォーサーズ機が三台に、レンズが四本もある。わざわざ新しいレンズ規格を、入手すべき理由があるだらうか。もつと云ふと、私の現在の主力機は、GRⅢである。同じ遣ふならGRⅢに注ぐ方が、正しい態度なのは疑念の余地もない。

 そこにEOS R50がきた。

 かういふ機種を造らせたら、キヤノンは本当に巧い。前述したPを嚆矢として、AE-1やKissが思ひ返され…あの會社が何を得意としてゐた、してゐるのかが解る。

 (これだけ小さくて軽ければ、手に入れるのも惡くない)

さう思つて、値札を見て、踏みとどまつた。踏みとどまれたと云ふべきか。目にした時点では、我がGRⅢより少し高額。あこぎではないが、GRⅢxを買へるくらゐではある。位置附けのちがふ機種の比較がをかしいのは、さうだとして併し

 (GRⅢxに惹かれるわなあ)

と感じたのも叉、事實である。更に繰り返しを気にせず云へば、GRⅢに遣ふ方が矢張り、望ましく好もしい。冷静と云はれてはこまる。要は物慾が枯れたから、さう判断できたに過ぎない。一方でマイクロフォーサーズを残らず手放し、R50に移る手はあるとも考へられる。枯れた落ち着いたと云つても、物慾の埋み火はあるらしい。