閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

589 損得ではない

 初めて呑んだのは旧コザ…この地名には複雑な色合ひが含まれてゐる…、沖縄市に(残念ながら仕事の関係で)短期間ゐた時だから、平成十八年の終り頃と思ふ。現地の可愛らしい女の子に連れて行つてもらつた呑み屋で教はつたのである。たいへんうまくて驚いた。泡盛の名誉の為に念を押すと、日常的に呑んだ[残波]や[菊之露]も實に宜しかつた。その"泡盛は美味い"の更に一段上だと感じたのが、この[カリー春雨]で、さう感じたのは相性と云ふ外にない。

 当り前の話になるが、蒸溜酒でも醸造酒でも、ある土地で作られる酒類は、その土地で、その土地の食べものと呑むのが一ばんうまい。寒暑が極端な土地柄なら余計にさうで、体を温めたり冷ましたりといふ効能も含め、大きく云ふと文化が成り立つてゐる。[カリー春雨]を教へてくれた女の子(繰返すと、まことに愛らしかつた)に、さういふ考へは無かつただらうけれど、そこはささやかな問題である。

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 東都に戻つてから、また呑みたいと思つて沖縄料理を謳ふ呑み屋に行く機会があつた都度、[カリー春雨]はありますかと何遍か尋ねたが、賣りきれか扱つてゐないといふ返事計りで(その代り[菊之露]を隠してゐる小さなお店は見つけた。今はもう無い)、やうやく(比較的にしても)、珍しい銘柄だつたのかと気が附いた。併し記憶を探つても、"珍奇…訂正、稀少で高価"な印象は無い。お酒だつたら、散々煽り立て、正一合千二百円とか、腹立たしい値段を附けるだらうに。

 何年前だつたか、呑み屋が立ち並ぶ某所の、更に地味で狭い場所に、"南國酒場"の看板を見掛けたのはまつたくの偶然で、多分その前に一ぱいか二はい、呑んでゐたと思ふ。普段のわたしは不見転でお店に入れないたちで、多少の醉ひを感じてでもゐなけれぱ、扉を開けなかつた筈である。中は十人も坐れないカウンタ。壁側の棚に、見たことの無いラベル、いや少しは覚えのある泡盛の壜も色々並んでゐた。泡盛の外は(黑糖)焼酎らしく、南國の意味が直ぐに解つた。それで東都では何度目か、[カリー春雨]は置いてゐますか。ええありますよ。あつさり返つてきた。拍子抜けした。オンザ・ロックでゆつくり舐めて、こんな味はひだつたかなと思つた。記憶にある旨さとちがつたからで、お店の責任でないのは念押しするまでもない。

 その[カリー春雨]は幾らだつたらう。そのお店は余程の古酒でなければ、一ぱい五百円くらゐで出す。もつと高いやつは、事前にこれは幾らしますよと知らしてくれる。その時はお知らせがなかつたから、当り前の値段だつたのだらう。今に到るまで、外の呑み屋ではお目に掛つてゐないから、妥当なのか損をしたのかは解らない。後日、註文したら、賣りきれだつたこともあるから、値段の割に、当り前に流通してゐるのでもなささうだ。思ひ返すとあの時の[カリー春雨]は何年振りかで、矢張り美味い一ぱい、詰りわたしとの相性が宜しいと確められもした。さう考へれば寧ろ廉と思ふべきかとも云ひたくなるが、まあ、深くは考へまい。損得勘定で呑むほど、詰らない呑み方もないといふものだ。