初めて食べたのは旧コザ…沖縄市に(残念ながら仕事の関係で)短期間ゐた時だから、平成十八年の終り頃と思ふ。あちらで最初に驚いたのは、お弁当や量の多さだつた。車で賣りに來たのを買ふと、ごはんをぎつしり詰め、おかずもたつぷりで、烏龍茶まで附けてくれて四百円かそれより廉だつた。嬉しいとか何とかの前に、食べきるのがひと苦労だつたのは忘れ難い。値段は平成中期当時だから、今はどうなつてゐるか解らない。
仕事場の建物の近くに定食屋があつて、そちらにも行つてみた。野菜そばといふのを註文したら、沖縄そばの上を野菜炒めが覆ひ尽してゐた。あれにもびつくりした。その時は宿醉ひで、こまつたなあと思ひつつ、こーれーぐすを滴して啜ると、不思議に平らげられた。もしかして琉球式の魔術だつたのか知ら。ことの序でだから云ふと、その定食屋には"味噌汁"といふメニュがあつた。興味本位で註文したら、沖縄そばのつゆに味噌をあはく溶いた丼に、島豆腐や車麩を入れた山ほどの野菜炒めが出てきて驚かされた。旨かつたけれども、あれが沖縄人には当り前なのだらうか。"おかず"と書かれたメニュは試さなかつた。
あつちで食べた定食は、大体ごはん(わたしの感覚で云へば大盛)に主役のおかずと小鉢、それから味噌汁代りの沖縄そばで構成されてゐた。さういふ定食群の中でも気に入つたのは、苦瓜や豆腐、そーみんのちやんぷるー…ではなく、ポーク玉子だつた。念を押すと、ポークは豚肉でなくポーク・ランチョン・ミート、即ち塩漬けの罐詰の意。[スパム]や[ホーメル]が有名ですな。米兵の糧食であつた。そのポークを扇形に切つて炒め、玉子焼きと一緒に、ケチャップ(この場合、[ハインツ]が望ましい)を添へたのがポーク玉子。沖縄と聞くと、我われはどうしても、悼みを感じざるを得ないのだが、またその感覚は誤りでもないのだが、米國から流れ込んだ(思ひ切つて云ふと、米兵連中すらうんざりした)罐詰をひとつの料理に仕立てたのだから、沖縄人の柔軟としぶとさに感嘆と拍手を送りたくもなる。
当時、棲んでゐたところから、自転車で十分かそこら走ると、小さな定食屋があつて、そこのポーク玉子定食がうまかつた。休みの日に行つたから、そこでポーク玉子定食を食べる時には、必ず[オリオン・ビール]を奢つた。中壜である。キリンもサッポロもアサヒもサントリーも、ポーク玉子相手ではどうしたつて違和感が残る。それは思ひこみと笑はれるだらうが、呑み喰ひを豊かにするには、その思ひこみも大切なんである。すべてとは云はないし、瑣末主義に陥る恐れもあるけれど、そこは経験がものをいふと誤魔化しておく。
ところでその定食屋のポーク玉子は、ポークと玉子を同じくらゐの大きさで焼いて、お皿には交互に並べてあつた。これは具合のいい盛りつけで、ポークだけ、玉子焼きだけ、ポークと玉子焼きを同時に、などと食べ分けが出來る。成る程ポーク玉子定食は、[オリオン・ビール]でつまむのと、ごはんで食べるのも含めて、色々の組合せを樂めるのだなと感心した。それで東都に戻つて、沖縄(風の)料理を出すお店で、我がポーク玉子を註文すると、いや盛りつけにも様々があるから驚いた。
玉子をクレープ生地のやうに円く焼き、その上にポークを並べたり。
円いお皿にポークと玉子焼きを旭日模様に並べたり。
薄く切つた苦瓜や野菜を添へたのもあつた。
いづれもポークの塩気とケチャップ(繰返して云ふと[ハインツ]が望ましい)で食べさせるのは共通してゐるが、調理の手順が複雑でも煩雑でもない分、厚みだの焼き具合だのに、作り手のくせといふか、個性といふかが顕れ易い。もうひとつ云ふと、定食で出すのと、[オリオン・ビール]や[残波]で食べさせるのとでは、味の具合が異なるのも考へられて、そのちがひが愉しい。画像もポーク玉子の一種。ここではオムレツを添へたスタイルで、やはらかくこぼれたのを、ポークにまぶして食べると實にうまい。