閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

588 學問への手助け

 考へてみたら、おにぎりを肴にお酒を呑んだことが無い。どちらもお米なのだから、相性はよい筈なのに。(干し)葡萄をつまみながら、葡萄酒を呑むのは中々いいのに。池波正太郎的な厭みに目を瞑れば、早鮓で呑む方法はある。早鮓でひとつ思ひ出した。父親が現役の會社人だつた頃、時折、富山県に出張することがあつた。お土産は決つて、柿の葉でくるまれ、木の桶に入つた鱒寿司だつた。そのままでも旨いし、香りつけに醤油を落としてもうまかつた。残念ながらその頃は呑める年齢ではなかつたが、今ならあれで呑むのはよささうに思ふ。詰りごはんの塊は肴にな(り得)る。なのにおにぎりで呑まうとは思ひにくい。

 もう無くなつたお店だから、安心して名前を挙げると、大坂の天神橋筋七丁目辺りに[たこ梅]といふ呑み屋があつて、そこで稀に出された、海苔も何も使はない、塩だけのおにぎりが實に美味かつた。お米や水や炊き方がよかつたのは勿論だらうが、何より握り方が妙を得てゐたのだと思ふ。店員のお姐さんが握つてくれたこともあつて、それも上々の出來だつたが、噛んだ時の歯触りや口の中での崩れ具合…その辺りの纏りが丸でちがつたのも忘れ難い。尤も呑んでゐる時は、鮪(ぶつ切り)の串かつなんぞを悦んでゐて、おにぎりは偶の〆であつた。詰り[たこ梅]のおにぎりをを肴にしたことはなく、今となつて、失敗だつたなと反省してゐる。ただあの時に[たこ梅]の大将のおにぎりを肴に呑んで、満足出來たかどうか。その頃のわたしは卅歳になるかならないか、脂つこさや量への信仰が残つてゐた…からとは思はない。今に到るまで、おにぎりで呑まうとしなかつたのが何よりの證拠、とするのは多少の無理を感じるけれども。

 

 おにぎりは食事である。

 といふ気分が、わたしの中に濃厚にあるのは間違ひない。併しそれだけではをかしくて、食事と肴を兼ねる食べものは幾らでもある。なので濃厚なのは、おにぎりは食事であつて肴ではないといふ気分、とする方が正しい。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏も、同意を示すのではなからうか。ところで

 焼き鮭。

 梅干し。

 昆布の佃煮。

 おかか

以上をわたしはおにぎり種の四天王と呼んでゐる。ここで云ふおにぎりの種は、ごはんでくるまれることを指してゐるから、海苔巻きや、菜飯に散らし寿司のやうな混ぜごはんは省かれる。かう云ふと我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から今度は、筋子や明太子やツナ・マヨネィーズや鶏のそぼろ煮や鹿尾菜や高菜はどうなるんだと、猛烈な反發を喰らひさうである。仕方がない。反發があるのは受け入れる。撤回はしない。

 えーと、話を戻しませう。上に挙げた四天王はどれも、そのままお皿に乗せれば肴になる点が共通してゐる。揃つて出されたら嬉しいねえ。わたしはきつと歓ぶ。お酒の二合も引つかけて、お茶漬けで〆れば晩酌は満足する。満足出來る。だつたらおにぎりを囓りつつ、お猪口を持つたつて、かまはんだらう…とは筋の通つた考へなのに、どうして試す積りにすら、ならないのか。

 馴染みが深すぎる。

 と推測するのはどうか知ら。思ひ返すとわたしの一ばん古い記憶は、土曜日の午后に祖母が作つてくれたおにぎりである。味附け海苔を巻いた、俵型の小さなやつ。一緒にあつたのは、鰈の煮つけだつたか、玉子焼きだつたか。美味しかつた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、祖母は勿論、母父の作つたおにぎりを頬張つた記憶はあつて、それは三角や丸、或は何だか判らない歪つな形だつたかも知れないが、きつと美味しかつたにちがひない。らしからぬ気障を云へば、おにぎりは確かに食べる幸せの形であつた。

 

 だから肴にするとは怪しからん。

 などと憤慨する積りは毛頭無い。おでんにせよ、もつ煮にせよ、焼き鳥にせよ、チーズと生ハムにせよ、随分と世話になつてゐる。そんな恩知らずの發言は出來ない。第一、そんなに考へこむなら、おにぎりで一ぱい呑んでみればいいのである、と云へば確かにさうだが、どうも決断がしにくい。適ふ適はないといふ興味の前に、おばあちやんに叱られるんではないかと、不安を感じて仕舞ふ。生前の祖母に叱られたことなど、ただの一ぺんもなくて(誇張でも何でもなく)、出來の宜しからぬ孫を、無條件で愛してくれた。なので祖母の顔を曇らせる不安のあることは、何がなんでもしたくない。

 待てよ。だとすると矢張りどこかで、怪しからんと倫理的に感じてゐるとも考へられる。

 ただその頭に浮ぶ倫理的な枷は、白米を使つたおにぎりに限つて感じる気がする。それで改めて箱寿司や押し寿司、蒸し寿司、五目寿司の鞠にぎりと徳利の組合せを想像すると、成る程、不自然さは感じない…いや感じにくく、冒頭に触れた鱒寿司なら寧ろ歓ばしい。酢飯だからだらうか。併し酢を使はない菜飯や鹿尾菜ごはんを丸く握つたのを含めても、問題にはなるまい。そこで想像の幅を広げ、焼いた塩鮭の身をほぐし、或は佃煮をごはんに混ぜこんだおにぎり…は、上の一群に較べたら、半歩劣りつつも、種にするよりはいけさうである。ふーむ。踏み込むと『コメとおにぎり、そして民族の記憶』などと題した評論の一本も書ける疑問ではないかと思へてきた。淺學菲才の身に實践は余るから、熱心なおにぎり研究家に任せるとして、協力が必要だつたら、様々のおにぎりを肴に呑んだ記録を附けるのに否やはない。學問への手助けなら、おばあちやんに叱られる心配もなからうし。