閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

610 好きな唄の話~まほろば

 眞秀場といふ字を宛てるらしい。

 "本当に素晴らしい土地"くらゐの意で、現代では奈良…平城辺りを指す。倭建命が、やまとはくにのまほろば、と詠んだのは我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもご存知のとほり。

 

 その奈良まほろばを背景に、さだまさしは愛慾を唄つた。ここで云ふ愛慾は西欧風の聖的詩的な感情ではなく、佛教的な覚りへの途を邪魔する…迷ひや煩悩に近い語感。

 

 この唄を初めて聴いたのは何年前だつたか。『夢供養』といふアルバムに収められてゐたのと、一曲前が[パンプキンパイとシナモンティー]…因みに云ふ。[待つわ]でヒットを飛ばした"あみん"の名前はこのユーモラスな唄から採られてゐる…だつたのは覚えてゐるが、思ひ出話は措きませう。

 

 春日山

 飛火野。

 馬醉木ノ森。

 撓む蜘蛛の白糸。

 

 さだが撰んだ詞には佛教の気配がある。些かややこしく感じるのは、鎌倉以降、日本的になつた隠遁、または諦念佛教の響きが混ざつてゐるからだが、それを瑕瑾と責めるのは間違ひだとも思ふ。その諦念なり何なり…愛慾から逃れられない、或は愛慾に絡まる自分を突き放して視る姿…は、繰返し昇りまた沈む陽のやうでもある。

 それは本当に繰返しだらうか。

 澱まず惑はず流れる川は元の水ではなく、過ぎた昨日と來るだらう明日が、今日と同じになることはない。平城山の満月に照され、男女が踠く様を、さだは見つめる。その視線が激情であるか、或は憐憫なのかは解らない。併しどうであれ愛慾にとらはれながら、ひとは…貴女もわたしも…生きねばならない。眞秀場が現世でなくとも、自らの足で。青丹よし平城ノ京で覚悟を決めて。