前回は、壜麦酒の魅力について触れた。
であれば、課題にも触れねばならない。
それが、公正な態度と云ふものである。
かう書いて、さて壜麦酒に課題はあるか知らと思つた。
だらだら呑むと折角の麦酒がぬるまつて仕舞ふが、折角の麦酒をだらだら呑むなど、有り得べからざる所行なので、これを課題とは呼ぶわけにはゆかない。
ジョッキ…生麦酒の方が旨いよといふ意見は(一応)認めるとして、併しジョッキの場合、麦酒の味はひが注ぎ手の技量に大きく左右されるので、寧ろ壜麦酒に優位の面がある。
となると。
この稿で考へるべきは、壜麦酒それ自体より、壜麦酒周辺の課題ではあるまいか。
だとしても、壜麦酒周辺に課題があるのか知ら。
ありさうな気がする。
摘みに何を撰ぶのか、といふのがそれで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、笑ふ勿れ。壜からグラスに注ぐのとジョッキで直かにやつつけるの、罐から直で呑むのでは、麦酒の味はひが丸で異なる。異なつてくる。お酒を厚手のお猪口を使ふのと、葡萄酒用の薄いグラスで用ゐるので、口当りや香りの立ち方、要は味はひにちがひが出るのは、御存知でせう。麦酒がさうでないといふ理窟は無い。
鶏の唐揚げ。
焼き餃子。
韮玉子。
ハムカツ。
ソーセイジ。
麦酒に適ふ摘みを順不同で挙げてみた。外にも似合ひはあるとして(たとへば烏賊フライや分厚いベーコン)、異論は出ないと思ふ。とは云へここで挙げたのは、いづれもジョッキの麦酒に適ふのだと指摘しなくてはならない。詰り空腹で渇きを覚える時に好もしく、また望ましい組合せであつて、正直なところ、壜麦酒では(駄目とは云はないにしても)もうひとつの感がある。課題が見えてきた気がするぞ。
さて壜麦酒を積極的に撰ぶのは、どんな場合だらうと考へるに、空腹も渇きも(そこまで極端には)感じてゐない時であらうか。ある程度にせよ、気分に余裕がある時…けふは壜麦酒をば一本、ゆつくり樂まう…と云つてもいい。
であれば。
出來たてを慌てて食べなくとも(だらだらが禁忌なのは云ふまでもない)まあ、かまふまい。壜麦酒を樂む速度にあはせ、ちよつとづつ摘んだり、毟れたりするのがよささうである。何が考へられるだらう。
ほつけの塩焼き。
苦瓜とパプリカのピックルス。
鯵の南蛮漬け。
焙つた厚揚げ。
我ながら惡くない思ひつきである。ピックルスをザワー・クラウトにするのも宜しい。それから馬鈴薯やマカロニのサラドを忘れてたくはない。呑み屋の卓について
「壜麦酒を一本。マカロニ・サラド。それでほつけを、焼いてください」
と註文すれば、サラドをつついて、ほつけの焼き上りを悠々と待てる。この悠々が壜麦酒の持ち味なので、供をする摘みにも、その悠然を求めたくなるのは人情の当然だらう。ここが課題である。
何故か。
首を傾げるまでもなく、この手の摘みは壜麦酒より寧ろ、お酒に似合ふことが多い。上に挙げた例で云へば、厚揚げを壜麦酒にあはすなら、鶏そぼろのあん掛けにするか、肉味噌を添へるか。何を撰ぶにしても、少しこんがらがつて、脂つこさの加はつてゐるのがいい。サラドなら黑胡椒なんぞを上手に使つてもらふと嬉しい。
ここまでを無理やりに纏めれば、濃い…と云ふか、味の輪郭がはつきりして、しつつこくないのが、壜麦酒に似合ふと云へる。では具体的に何があるかと考へれば、案外に出てこない。全國全世界に愛好家がどれほどゐるか、その数はさて措き、我われは手を携へ、うまい摘みを求めねばならぬ。豊かな夕刻は何と云つても、壜麦酒と似合ひの摘みから、始まるんだもの。