閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

833 それぢやあの親子丼

 甘辛いつゆで鶏肉を煮て、溶き卵でとぢたのを、丼に盛りきりのごはんに乗せたら、親子丼が出來上る。以前ざつと調べた時の記憶を辿ると、最初は店で出さず、食べたければ出前を取るしかなかつたらしい。どうも料理屋で盛りきりめしを出しまた食べるのは、品下る行為だつたさうで、丼もの好きの立場から云ふと、その辺の事情がよく解らない。店で食べられるに到つたのは、要するに旨いからで、出前を取れない聯中が、それぢやあこまるよと文句を附けたものか。

 一体親子丼は簡素な方が旨いと思ふ。薄く切つた玉葱くらゐは入つてもいいけれど、蒲鉾だの葱だのと追加したら味が落ちる。溶き卵の黄金いろとつゆの茶いろとごはんの白が丼を覆ふのを目にすると、きつと旨いだらうと思へる。その旨いだらうといふ予感…その予感は何秒か後に正しいと立証される…が、美學的な見地だとどうなのかは知らない。但しうまい親子丼が美しいのはかまはないとして、美學を満たした親子丼がうまくなる保證はない。それぢやあこまるよ。

 煙草を買ひに行つたコンビニエンス・ストアで不意に、親子丼が目に入つたんである。丼ではなく棄てるのに便利な紙製と覚しい器に入つてゐたけれど、八釜しく云ふのはひかへておく。四百円くらゐ。店のレンジで温めてもらつたのを持ち帰つて食べると、予想してゐたより佳かつた。細かい註文は挙げれば切りがないし、親子丼が名物のお店の値段を想像すると三分ノ一とか、その程度の筈だと思つたら、ああだかうだ云ふのも莫迦ばかしい。

 そのコンビニ親子丼は店が附けてくれた匙で食べた。親子丼は、お箸より匙で食べる方がうまい。匙に乗せた分に七味唐辛子や粉山椒をほんのり振つて、味はひに変化をつけられる(ほんのりでないと、折角のつゆの甘辛を吹き飛ばしてしまふ)何より親子丼は汁かけごはん寄りだからで、食べるより啜るのに近い感じで口にいれるのがいいと思ふ。お行儀の先生から、それぢやあこまりますねえと咜られるだらうが、親子丼はさういふ食べものなんだもの。

 この辺りまで書いたら、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の意地惡なたれかから、それでコンビニ親子丼にあはせて、何を呑んだのだと訊かれさうな気がしてきたが、親子丼に酒精は似合はない。負惜しみでも恰好つけでもなく、空腹の午后、夢中になつて食べるから親子丼はうまいので、その隣に麦酒やお酒があつたら、邪魔ではないにしても(おれはそこまで恩知らずの男ではない)、どこで呑むのか判断が出來かねる。頭の部分だけ別のお皿で出れば、話はちがふのだらうが、それぢやあこまつてしまふ。