閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

452 牛丼を考へる

 我が國の本格的な食肉史は明治の直前に始まる。一応の区切りでいふと、安政六年…明治改元のほぼ十年前…の横濱開港以降からか。貿易商人が持ち込んだと考へていいが、かれらが何を持つてきたかはよく解らない。当時の日本に牛肉や豚肉を食べる習慣は殆ど無く、従つて畜産の技術も無いに等しかつたから、異人さんも困つたにちがひない。保存や輸送の点から考へれば、ハムやソーセイジやベーコン、或は樽詰の塩漬け肉の類が主だつたか。

 「何とかならないか」

と商人連中が云つたたかどうかは知らないが、さういふ需要が日本の畜産の源流になつたと想像するのは、誤りでないと思へる。その一方、異人さんの居留地に出入りする日本人も

 「何とかならないか」

と思つただらう。かれらにとつて四ツ足は(少くとも)(表向きには)忌避の対象だつたもの。蔭口のひとつやふたつ(えげれす人ツてのは、喜んで牛を喰ひやがらア)、叩いたところで不思議ではない。

 と思つたが、どうも實際には異なる一面があつたらしい。安政六年の開港から僅か三年後の文久二年、横濱に牛鍋屋が開店してゐるのがその證拠で、百六十年前の話だからね、これは。異様な早さと云つていい。どこにでも目端の利く連中はゐるものだ。尤も当時の牛鍋はぶつ切りを味噌や葱で煮込む形だつたといふ。肉を薄切りにする技法が確立されてをらず、肉自体が現代ほど清潔でもなかつた事情があつたのだらう。味噌焚きのもつ煮に近かつたと想像してもよささうな気がする。下層民の食べものだつたのだらうな。

 併し今は大半が醤油煮であつて、その転換は大正の関東大震災だつたといふ。関東…東京や横濱で商ひが立ち行かなくなつた飯屋が関西…近畿に移つてきたのが切つ掛け。近畿の飯屋…お客連は味噌焚きに馴染みが薄く、たれかがある日

 「醤油で煮たら、ええンとちがふか」

と思ひついたらしい。さういふ工夫が求められ、或は生れる程度まで牛肉喰ひは拡がつてゐた事になる。開港当時のえげれす商人が見たら、隔世の感に打たれるだらうな。喜ぶかどうかは別の話にしても。

 その煮込んだ牛肉を丼めしに打ち掛けて喰ふ發想はどこから出てきたのか。ある時期まで、丼に盛りきりのめしは下品と思はれてゐた。どこだつたか、親子丼で有名なお店によると、最初は出前でしか提供しなかつたさうだから、食膳の定型があつたのだと想像出來る。なーんだ時代遅れだねえと笑ふか、食事の秩序があつたのだなあと感心するかは、ひとそれぞれに任すとして、出たての牛肉煮の丼めしは牛鍋同様、下層民…労働者の食べものだつたにちがひない。今で云ふ牛丼乃至牛めしの誕生である。

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 そんなに食べない。体感で云ふと年に数回…多くても三ヶ月に二へんくらゐかと思ふ。ごく普通の牛丼。並盛。生卵をつける時もある。つゆ抜きとか何とかと変り種は註文した事がない。紅生姜を乗せ、七味唐辛子は眞つ赤にならない程度に振る。生姜も唐辛子も用ゐ過ぎると味が一色になつて仕舞ふ。慌ててがつつきはしないが、だらだらもしない。お店に入つて席に坐り、註文し、食べ、会計を済ませるまで、さあどうだらう、計つた事は無いが、十五分程度ではないか。意味通りのファスト・フードである。それで満腹感を得られるし、そこそこ廉だもの、下層労働者が飛びつくのも当然である。どこで目にしたか忘れたが、古川緑波が淺草で食べた牛丼を下衆な味と懐かしむ一文があつた。巧い事を云ふなあ。

 ここで視点を丼めし全体に拡げると、鰻丼天丼親子丼にかつ丼は、その下衆な味一族からの脱出に成功してゐる事に気が附く。鰻丼天丼は寧ろ高級な食べもの扱ひにまでなつてゐるから、凄い出世と云つていい。令和の現代には新興の丼ものが、時に不相応な値段で出されもするが、それは鰻丼天丼の余祿に過ぎない。たださうなると我らの牛丼にその余祿が及ばなかつた、及んでゐないのが不思議…といふより奇怪に思はれて、同期や後輩が横綱三役まで上つてゐるのに、前頭の中位辺りを、十勝五敗から六勝九敗の間でしぶとく守り續けてゐる印象。併したとへば三田牛と淡路島の玉葱に小豆島の醤油を組合せれば、一ぺんに大関まで駆け上れるたいへん豪華な牛丼が出來るのに。

 「そんな勿体無い」

と丼めし好きから反論されさうだが、さう云ふひとには海鮮丼を實例に挙げて再反論したい。あれは贅沢な材料をまづく仕立てる典型的な例であつて、それに較べれば余程有用な提案の筈である。尤もこの案にはそれがまづくなる道理は無いにしても、従來の牛丼より旨くなる保證も無いといふ弱点がある。鰻丼なら吟味した鰻を上手に焼けば確實に旨くなる。天丼なら種と油と揚げる技術で矢張り確實に旨くなる。思ひ切り簡単に云ふと、材料と技術の合はさつた結果が判り易いのが鰻丼や天丼で、煮込むのが主になる牛丼だと我われの目に入らない行程(たとへば下煮)は兎も角、見た目は要するに

 「煮込んだだけぢやあないか」

で終る。またその煮込むといふ方法は材料の良し惡しにさほど影響されない一面もある。さうなると折角苦心して用意した三田の牛肉も有難みが薄れる事になつて、従來式の牛丼を決定的に凌がないかも知れない不安の根拠はここにある。それなら端肉屑肉を葱や生姜や大蒜、或は味噌を隠しつつ巧妙に煮る方が、牛丼の価値を高めもしさうで、かういふ工夫は寧ろ異人さん好みかも知れない。何せトマトで煮て、バタを効かしたライスに乗せれば、ギュウドン・ア・ラ・ジャポネーゼになる。…我われの食慾をそそるかどうかは、また別の話にしても。