閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

989 ぐつぐつ

 令和五年の霜月上旬は妙に生暖かくて、一ぺんに寒くなるよりはましとして、どうとなく落ち着かなくもある。何故かと考へるに、鍋ものが恋しくならない。水炊きに寄せ鍋に、おでんや鋤焼き…この両者を鍋ものと呼べるのかといふ点には、議論の余地がある…、湯豆腐、常夜鍋。食べたことがないのを含めてよければ、葱鮪だの柳川だのも浮んでくる。

 

 好みを云ふなら、鍋ものは土鍋で用意されるのがいい。これはもう、さういふものだと幼少期に刷り込まれたから(鐵鍋を拒む積りではありませんよ、為念)で、矢張り、水炊きか寄せ鍋が喜ばしい。

 白菜。

 春菊。

 長葱。

 榎茸。

 豚肉。

 鶏肉。

 白滝。

 豆腐。

 鰆や鮭。

 お餅(薄切りのやつ)

 また鰤のお刺身をはふり込んでもうまいもので、渾沌と云へば渾沌だし、昆布のお出汁で纏められた秩序がある、と見立ててもいい。大きな土鍋の蓋を開けて、立ち上る湯気の中に見える具は、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、兎にも角にも幸せと云ふべき光景ではありませんか。

 

 残念なことに今の私は、東都の獨居老人なので、さうさう気樂に、鍋ものをつつきにくい。三人か四人で卓を囲み、無駄話や莫迦話に花を咲かせ、平らげるから、鍋ものはうまいのだ…と、考へた時、ここ何日の生温い空模様は、恋しさから(多少とはいへ)距離を置けると云へると気附く。有難いとは思はないけれども。

 

 寒くなれ、早く。