閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

019 廉価な方法

 廉な呑み屋はわたしの好む場所である。串焼きを賣りにすることが多くて、暖簾には焼き鳥焼きとんもつ煮などと書かれてゐる。一本百円から百五十円くらゐだらうか。タンハツハラミレバー。この手の呑み屋なら馴れるまではたれがいい。焼き肉師の才能は天性ださうで、サヴァラン教授がさう云ふのだから間違ひはない。なので塩を註文するならある程度馴染んでこれなら大丈夫だと確信出來てからの方が宜しからう。稀に最初から塩でいいと思へるか、わざわざ指定せずに任してかまはないと感じる場合もあるけれど、それは幸運に恵まれた夜の例外と考へた方がよささうだ。併し串焼きは註文してから焼きだすのが問題で、いや問題と云つていいのか疑問を感じなくもないのだが、空腹を感じて焼き鳥焼きとんもつ煮の暖簾をくぐつてから待たされるのはこまる。麦酒乃至酎ハイは素早く出されて目の前にあるのにつまみがない。気にせずどんどん呑めばいいぢやあないかと思ひ、また気にせずどんどん呑むひともゐるだらうけれど、わたしはどうもつまみがないと呑めないたちなんである。若い頃つまみなしで呑みすぎて倒れて以來、あられでもポテトチップスでも味つけ海苔でも手元にないと不安になる。そんならつき出しを食べればと親切な提案がありさうだが、廉な呑み屋につき出しは期待しにくい。さういふのを省いて安くしますといふのがお店側の云ひ分の筈で、こちらからわざわざ求めるのは話がちがふ。も少し上の呑み屋ならつき出しが好みに適ふかどうかでつまみを想像する樂しみがあつて、期待に綺麗に収まると嬉しくなるのは認めるとして、この稿の話題からは少々距離がある。

 なのでハラミは二本、レバーとタンとハツを一本づつと云ひながら、併せてポテトサラドを註文する。或は麦酒(または酎ハイ)とポテトサラドを先に註文する。かうすれば串が登場するまでの時間を有効に使へる。この手のお店では大体ポテトサラドを予め小鉢に用意してゐるもので、有り体に云へば感動的に旨いことはない。馬鈴薯が柔らかく潰され、玉葱とハムと胡瓜と薄切りの林檎が混ざつてゐて、マヨネィーズをたつぷり用ゐてゐるのがわたし好みのポテトサラドだから最初から期待してゐない事情の所為で、これで文句を云ふのは幾ら何でもすぢ違ひと云ふものだ。それに好もしいとは思ひにくいポテトサラドでもまづいことはなく、これから串を喰ふのだと考へながらつまむのはうまい。そのまま食べもするが、串用と思しき七味唐辛子や揚げ物向きだらうソースを垂らすのもいい。食べきる前に焼きあがつたらたれをちよいとつけるのもまた旨くて、勿論かういふのは下品である。但し下品とまづいが結びつくとは限らないよとは念押ししておかう。

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 ただまあそんな食べ方をちよつとした洋食屋でやらかす度胸は持合せない(そんな必要もないにちがひないし)のが正直なところで、矢張り安呑み屋の隅つこが精々なのは確かかと思へる。寧ろ休みの日、マーケットの惣菜をつまみに罐麦酒を奢らうかと思ふ午后に似合ふのがポテトサラドでないか知ら。これならうで玉子やハムを加へるとか、醤油か味つけぽん酢をひと垂らしして青葱を散らすとか、ウスターソースとほんの少しのチリーソース(参考までに云ふとこれは牡蠣フライによく似合ふ)を混ぜるとか勝手放題である。袋入りなら開ける前に掌で馬鈴薯を潰して(わたし)好みの柔らかなポテトサラドに出來る。バゲットでも食パンでも或はチーズでもあれば、罐麦酒の後に安い葡萄酒の一本も用意して、だらだら呑み續けられる。すりやあ気障な態度だよと思ふなら、罐詰の焼き鳥を隣に置いて、七味唐辛子でも振つておくのがよい。串に刺さつてゐないのは多少残念とは云へ、これなら廉価で安易に呑み屋の気分まで味はへる。