閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

109 取敢ず乗せてみる

 今の丼めしの原型は鰻の蒲焼きに辿り着けるさうで、正確に云へば、蒲焼きを持ち帰る時の工夫だつたといふ。即ちお重に熱くしたおからを詰めたのを用意し、そこに蒲焼きを埋めさした。この場合、おからは保温剤の役割を果した筈だが、そこには蒲焼きのたれがたつぷり、染み込んでゐたにちがひなく、それを食べない法があるものだらうか。きつとそこ…おからも旨く食べられるところまで考へた工夫に決つてゐて、巧妙と云はなくてはならない。

 「そんなら」と、ここで喰ひしん坊のたれかが考へたのは疑ひの余地がなく「めしに乗せても旨いんぢやないか」

 その喰ひしん坊がお客だつたのか、鰻屋の若い衆だつたのかはどうでもよくて、ただ丼めしはかうして誕生した、と想像するのは妥当なところでせう。さう思ひつつ、気になるのは、鰻丼…鰻めしの後を受けて登場した丼めしが何かといふ点で、これが全然わからない。天丼やかつ丼でないのは確かだと思ふ。揚げものはたつぷりの油と強力な炎が不可欠でだから、明治以前の町なかで提供するのはほぼ不可能だつた筈だ。親子丼のやうな卵とぢもちがふだらう。玉子はどちらかと云へば、滋養の為の特殊な食べもの…いはば贅沢品だつたから、丼めしのやうに気らくな食べものには使へなかつたにちがひない。

 そこで、鰻に續いた種ものは何だつたのだらうといふことが気になる。当り前にあつて、気がるにごはんに乗せても不自然でないもの。そこで考へられるのは鮪である。正確には鮪の醤油漬け。さう考へる理由は単純で、早鮓に用ゐられたからである。もうひとつ云ふと、ねぎまといふのもある。焼き鳥を連想されては困るので、この場合のねぎまは葱鮪と書く。鐵鍋で鮪と葱を焚いたもので、肴になりさうだが、肴になるならごはんにも適ふ。要するに鮪(この場合は赤身)とごはんは相性がいいと、我われのご先祖は知つてゐた筈で、それを丼めしに乗せてみるかと、たれかが思ひついても、不思議ではないと思はれる。たた現代の我われの目の前にさういふ丼ものが殆ど見られないのも事實で、辛うじて鮪(漬け)丼はあるけれど、大きく見れば受け入れられなかつた。丼もののごはんは熱いのが基本だから、生魚が適はないのは当然の結果であるか。

 記録にも記憶にも残らない数多くの失敗があつたのは、歴史の必然だから、嘆く必要はない。大事なのは我らが喰ひしん坊のご先祖が

「目新しい食べものは、取敢ず、ごはんに乗せて食べてみる」

といふ方法論を見出だした点で、これを“方法論”と呼ぶのは大袈裟だらうか。とわざわざ書くのは、わたしがさう思つてゐないからで、何故なら我われは今、丼めしを大きに好んでゐるでせう。既に挙げた天丼やかつ丼、親子丼だけでなく、牛丼にかき揚げ丼(これは天丼と峻別せねばならない)、他人丼に豚丼に焼き鳥丼、カレー丼、中華丼に麻婆丼、海鮮丼、しらす丼、鮭といくらの親子丼、唐揚げ丼、ロコモコ丼にロースト・ビーフ丼。涎を我慢するのがたいへんなものがあれば、頚を傾げたくなるものもあるが、どの組合せが望ましかつたかは、半世紀くらゐは待たなければ判らないだらう。これは正しい意味で、歴史の審判なんである。

 かういふ応用力の高さは、ごはん(もしかするとジャポニカ種特有かも知れない)の特典ではなからうか。パンの応用力も、侮り難いのは認めるのに吝かではないとして、同じ土地の食べものでなければ、適ひにくさうに思はれる。たとへばフランスのバゲットアメリカの煮込み豆が似合ふだらうか。ロシヤの黒パンにギリシアのオリーヴが似合ふだらうか。さう考へると、欧州人が

「取敢ず、パンに挟んでみる」

といふ發想に到らなかつたのも、むべなるかなと云ひたくなる。中東に鯖のサンドウィッチがあるぢやあないかとの指摘には、何事にも例外はあるものだと応じるに止めるが、さう云へば鯖の丼つて、あつただらうか。わたしはキヤベツを乗せた丼めしに味噌煮罐を打掛け、生姜と刻み葱をどつさりと温泉卵(少量の麺つゆがあつてもいいだらうか)で食べるのを好むのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも、“取敢ず、乗せて”みたら旨かつた丼めしはあるに相違なく、それがどんなものか、不意に気になつてきた。