閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

108 最小構成

 パーソナル・コンピュータで“最小構成”といふのがありますな。CPUとメモリとドライヴ容量なんかの組合せ。大体の場合、どこかしら物足りなさがあつて、あれこれ撰ぶうちにいつの間にか、高額になつて仕舞ふ、困つた仕様のこと。併し最小構成であつても使へなくはないわけで、用途によつては、それで十分間に合ふことも考へられる。詰り用途次第の冠が必要になる場合も認めつつ、パーソナル・コンピュータがパーソナル・コンピュータとして成り立つ必要條件が、“最小構成”と考へていい。

 いきなり[閑文字手帖]らしからぬところから話を始めたのは、食べものにもさういふ“最小構成”があるのではないかと思つたからで、たとへばスパゲッティならバタと削りチーズで最小構成は満たされる。蕎麦や饂飩なら葱があればよく、ソース焼そばだと豚肉の細切れにキヤベツと紅生姜、冷し中華の場合はハムと胡瓜と錦糸玉子が相当する。ここまで考へて不意に、ラーメンの“最小構成”は何だらうと気になつた。…と書けば、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には呆れられるかも知れない。以前から散々、ラーメンの格の低さを書き散らして、今さら、ラーメンの最小構成を気にするのですかねえ、なんて云はれるかも知れない。まあそれはさうで、ラーメンが格の低い麺ものと云ふ見立てを訂正する積りもないのだが、気になつたのは仕方がない。

 ラーメンの原型くらゐになる麺ものを食べただらう、おそらくごく初期のひとが徳川光圀朱舜水が用意したといふ。この朱先生は明末の儒者。異民族王朝の清から日本に逃れ、水戸徳川家の招聘を受けた。そこで光圀公に献じた麺ものが、日本初のラーメンといふ説がある。尤も再現されたものの寫眞を見ると、汁麺に香辛料や藥味の小皿が何枚も添へられたお膳で、これをラーメンと見るのはちよつと無理がありさうである。それに儒者である朱舜水が、ラーメン…明代の汁麺料理に果して通じてゐたのかどうかと思ふと、怪しいなあと呟きたくなる。尤も光圀には、手打ちの饂飩だかを、家臣に振舞ふ惡癖があつたといふから、明に麺ものがあると知れば、興味は示した筈で、ラーメンかどうかはさて措き、水戸の藩主が我が國で一ばん早い時期に、中華麺の汁ものを食べたと云ひなほせば、一応の話は通じることになる。

 では現代に繋がるラーメンはいつ頃、出來てきたのかと云ふと、十九世紀末から二十世紀初頭まで待たなくてはならない。開國して清人が横濱辺りになだれ込んできたのが、どうも切つ掛けであるらしい。舜水先生には残念な結果であらう。但しその明治ラーメンに、何が使はれたか、よく判らない。ざつと調べた限りでは、叉焼に支那竹、それから葱だつたと思はれる。成る程、説得力がある。と云ふのは、さういふラーメンが出てきたら、納得して仕舞ひさうだからで、仮に支那竹に代つて煮玉子が、葱の代りにもやしが乗つてゐたら、きつと釈然としないだらう。焼海苔や若布、なると、コーンなどはなくても困らないし、わたしの好みからすると、寧ろ積極的に邪魔だと云ひたくなる。

 そんなら叉焼と支那竹と葱の三点で決めていいだらうか。叉焼だけ、支那竹だけ、葱だけは流石に最小構成とは呼び難いとして、叉焼と支那竹か叉焼と葱、または支那竹と葱の組合せならどうか知ら。叉焼と葱、支那竹と葱なら何とかなりさうな気もされるけれど、ラーメン愛好の讀者諸嬢諸氏の賛同を得られるかどうかと云へばどうも自信が持てないし、實際のところ、品書きに書かれてゐるのが、叉焼葱ラーメンや支那竹葱ラーメンだつたら、註文は憚られる気分にもなる。なのでこの稿ではラーメンの最小構成は、叉焼に支那竹に葱だと、一応の結論を出しておく。一応と念を押すのは、ここで云ふラーメンは東京風の鶏のがらでソップを取つた醤油ラーメンだからで、味噌ラーメンや塩ラーメンの最小構成は別であらうと思はれる。では味噌ラーメンや塩ラーメンの最小構成は何かといふ疑問が出てくる筈だが、そこまでは触れない。