被冩体に近寄つて撮れるレンズをマクロ(レンズ)と呼ぶ。但しニッコールだけはマイクロと称してゐて、たれの本だつたか、前者に巨視的、後者には微視的の字をあててあつた。うまいものだと感心した。
近くに寄つて冩せるレンズが重視されたそもそもは、複冩と記録目的だつたと思ふ。筆冩や冩生…精密画の代り、くらゐの位置附けではなかつたらうか。微視的、詰りマイクロ呼称の方が、適切に感じられる。
ライカ判で云へば、五十ミリから少し狭角と、九十ミリ前後に多い。尤も私が使つたことがあるのは、Ai-Sマイクロニッコール五十五ミリの一本きり。旧い友人のエヌはキヤノンの、知人のエスはシグマの五十ミリ・マクロを持つてゐて、後者の恰好が、中々よかつたと記憶してゐる。
マイクロニッコールに戻しませうか。鏡胴は、寄つて撮る目的…構造の所為だらう、やや大柄。但し掌で扱ひ易い大きさに纏つてもゐた。小振りな前玉が奥深く引つ込み、フードは使はない、といふより、附けられない。総じて合理的だつたが、恰好よく映らない姿だつたと思ふ。
F3で使つた。ファインダをウェイスト・レヴェルに、スクリーンをマット面に交換したのを、三脚に乗せた。花…植物を撮つた筈だが、その辺があやふやだから、碌な出來ではなかつたにちがひない。併しぼんやりしたファインダ像が、焦点を結びつつ、様々の色や影を見せるのは、樂かつた。
思ひ返すにそれは、F3…銀塩一眼レフ全般の窮屈なファインダを覗きこむから、得られる樂みではなかつたか。デジタル一眼(レフ)の広大で精細な液晶モニタは、正確確實な焦点合せに、利便の点で、旧式のファインダを遥かに凌ぐのは間違ひない。マイクロレンズをその主な目的、即ち"微視的"に使はうとする時、我らがF3に、現代の機器と太刀打ち出來る余地はない。
但しそれは實用性に限つたことで、恰好の面に目を向けると、話は多少、異なる…異なりさうな気がする。歴代ニコンのフラグシップ機で、F3のスタイルとサイズが、マイクロニッコールとあはせた時に、最もバランスよく纏つてゐる(と思はれる)のがその理由。恰好いいかどうかは、別問題ですよ。不細工ではないにせよ、無骨一辺倒な姿を見て、肴にしたいとは思ひにくい。それが撮影の場所に鎮座すると、他の機材が全部故障したつて、マイクロニッコール附きのF3があれば、何とか、或は何とでもなる…と感じられる。廿年、現役を張つた貫禄と云ふべきなんだらうな、これは。