閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

217 泰平

 午睡…居眠りなのだらう。頬のふつくらした女性が、針仕事の最中、椅子に坐つたまま、眠り込んでゐる。いかにも穏やかな顔。生活の厳しさも宗教の不条理も政治の苛烈も、彼女に陰を落してゐない、幸せな居眠り。

 ジャン=フランソワ・ミレーの『眠れるお針子』は1844年から翌年にかけて描かれたといふ。年譜風に云ふと、前妻のポーリーヌが前年に死去。カトリーヌといふ女性と交際を始め、パリに戻つた頃にあたる(かれがバルビゾン村に移るのは5年後の1849年)7月王政の末期から第2共和政へ移らうとする時期でもある。尤もその第2共和政は5年と保たず、ルイ・ナポレオンの登極…第2帝政に移つてゆく。第3共和政に辿り着くまでの半世紀近くは、フランスといふ農業王國が、近代的な共和政を得る為の代償を払ひ續けた時期と見立てても、大きな誤りにはならないと思ふ。

 1844年を日本で云ふと天保15年。この天保年間には年齢順に、孝明帝(2年)、坂本竜馬(6年)、徳川慶喜(8年)が生れてゐる。この中のたれかひとりでも早逝してゐたら、20年後の日本史はどうなつてゐたらうと思ふのは後世の我われに許された特権で、世はまだまだ天下泰平であつた。いきなり日本に話を飛ばしたのは、カトリーヌをモデルにしたとおぼしきお針子の寝顔は、まことに静か。王様も皇帝も知らないとでも云ひたげで、それは当り前に彼女の安心と幸せと考へればいいのだけれど、思想も議論もさて措いて、針仕事に勤しみ、また居眠る様は寧ろ、江戸町民の泰平に近しい。或いは神話的な時代の中國だつたか

「王がたれだか知らないまま暮し、死ぬのが社会の理想」

といふ言葉が連想されもする。尤もさう感じたのはわたしであつて、ミレー本人も同じだつたかどうかは解らない。解らないが、さう思ひたくなるくらゐに、この絵をわたしは好む。かう云つてそれがどの程度なのか、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には理解しにくいかも知れない。

 この絵は山梨県の県立美術館に常設展示されてゐる。企画展示に目を瞑れば、たつた数百円で彼女に逢へる。廉すぎやしないかとも思へるが、逆さの意味で贅沢な註文なのだらうな。一目惚れであつた。なので何故だかを言葉にするのは六づかしく、さうだからさうなのだと居直る外にない。額縁の中で眠るお針子を観るたび、ひつ抱へて走り出したくなる衝動を感じて仕舞ふ。わたしは藝術に敬意をはらふ男だから、我慢してゐるが、機会を得ればどうなることやら。併し仮に正統的違法に関はらず、彼女を連れ帰ることに成功したとして、その後はどうすればいいのか。

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 『カエアンの聖衣』(バリントン・J・ベイリー/ハヤカワ文庫)といふ妙なSFに、主人公が伝説的な服飾家の作つたスーツを見つける場面がある。広い倉庫だつたかにたつた1着が置かれてあつて、最初はその広さを不自然に感じた主人公は、それを暫く見るうち、ひとが暮し、また生きる為にはある程度以上の空間が必要なのと同様、このスーツを保管するにはこれだけの空間が必要なのだと気づく。主人公はそのスーツを手に入れ、酷い目にあふのだが、まあそこはいい。19世紀のフランスから21世紀の山梨を経て、いつとも知れぬ空想の未來に話を移したのは、生きものだけでなく、優れて藝術的なものは、それに相応しい空間を求めることを『カエアンの聖衣』から學んだからである。ね、濫讀も偶には役に立つでせう。我が『眠れるお針子』がその例外にならう筈もない。そこでカトリーヌの為には、豪奢な必要はないとしても、清潔で静かで暖かい部屋を準備しなくてはならない。簡単だが時間をかけて牛肉を煮込み(玉葱と大蒜、それからトマトを忘れずに)、焼きたての麺麭にチーズと卵、勿論ひと壜の葡萄酒も用意して(ここはミレーに敬意を表して佛國産を奢りませう)、蝋燭を立てた食卓に並べたい。さういふ場所でなければ、あの絵を堪能するのは困難に思はれて、さあ、實際に調へるとしたら、どれほどの手間暇にお金がかかるものか、見当もつかない。山梨県立美術館でそんな企画を立ててもらへないだらうかな。かう書いて不意に思つた。前半でカトリーヌの寝顔を町民の泰平に見立てたが、わたしの頭の方が余程、天下泰平である。