閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

216 ワンコイン

 Mercianのbistroだつたり、SUNTORYのDELICA MAISONといふ葡萄酒がありますな。輸入した葡萄の果汁を使つた、えらく廉いもので、近所のドラッグストアで、720ミリリットル入りのペットボトルが300円少しで買へるんです。そんなのは概してまづいよと眉をひそめるひともゐるでせうし、まあ確かに大してうまくはないんですが、飲み込むのに躊躇するほどはまづくもない。手近なコップにさばつと注いで、柴漬けでももやし炒めでも置いて晩酌にする分には、これくらゐでもええンやないかなかと思へます。こんなことを云つたら、眞面目な讀者諸嬢諸氏からは

「佛蘭西でも西班牙でも、しやんとしたのを飲まなあ、いけません」

さう叱られるかも知れませんな。えらい眞つ当な態度と思ひます。尤もさう云ふひとが、果して佛蘭西やら西班牙の葡萄酒に似合ひのつまみ…食べものを用意してをられるのか、少々疑問を感じも致します。

 有り体に云つて、お酒が惡い。吉田健一が何十年も前に喝破してゐますが、お酒は少なからぬ場合、肴は必要最小限…漬物の切れ端、畳鰯、青菜の煮つけ程度で飲めますし、豪勢な肴を用意した夜だつて、鮑には牡蠣には鯛にはと銘柄を移さなくてもかまひません。寧ろ[初孫]なら[初孫]で(ここで具体的な名前を出すのは、わたしが好きだからなんですが)、最初から最後まで通す方が具合が宜しい。そこでお酒好きは勘違ひするんですな。

「お酒それ自体が旨いのが、いいお酒だし、またそれが望ましい姿なんだ」

そんな阿房な話、あるわけはありません。酒肴といふ言葉が示すとほり、両者は不二の関係。塩がひとつまみだの、焼き海苔があれば十分だの、恰好ええなあと思はないでもないですが、どうも本筋ではなささうに思へます。マーケットで投げ賣りの安酒でも、熱いおでんやら焼き鳥があればそこそこに飲めるもので、さういふ飲み方が正しい…までは云ひにくいにしても、嬉しくまた樂しい姿ではありますまいか。

 厄介なのはお酒なら粗末な肴でも一応は酒席…お酒の場が成り立つ点でして、併しどうかするとその感覚のまま、葡萄酒を飲んで仕舞ふ。ところが有り体に云ふと、つまみ以上の食べもの無しで葡萄酒を飲んでも詰らないし、感心も出來ません。そんなら安葡萄酒に何を組合せるんかといふ話になりまして、大体のところ、お酒に適ふ食べものなら葡萄酒にも適ひますな。ただ300円ですから、そこまで贅沢したくはありません。生ハムだの牛肉の煮込みだの、何とかいふチーズだのにはこの際ですから目を瞑つて、たとへば先にも書いたおでん。トマトを基にしたお出汁ならもつといいんですが、さうでなくてもいけます。こつらしいこつを挙げるとしたら、辛子ではなくマスタードを使ふことでせうか。酸つぱくなつたお漬物も宜しいもので、ピックルスに張り合へますな。お刺身の余りがあつたら幸運と云ふべきで、しやぶしやぶ風に湯通しすれば、立派に通用します。もつと簡単にピーナツと煮干しを乾煎りするつまみものがあつて案外にいい。熱いうちでないと、生臭さを感じるかも知れませんが。

 併し、ねえ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は呆れ顔になるかも知れない。丸太もまあいい齢なんですから、さういふところにお金と知恵を使ふのは勿体無いんではないの。と云はれたらすりやあさうかなと思へてくるが、葡萄酒は当り前に賣られてゐる中でも1本5,000円を下らないのは珍しくないし、さういふ葡萄酒ならあはせる食べものだつて、気を配らなくてはならなくなります。ブルネイの御大尽なら、朝晝晩でも平気でせうが、こちらは残念ながらそんなわけには参りません。こんなことを云ふと

「そんなら年に1回、気張つたらええでせう」

さう叱られさうな気もしてきて、云ひ訳をすると廉に樂しむ方法や組合せを多少なり、工夫する方が性にあふんです。申し訳もありませんが、ああそれが丸太好みなのかと、ここは考へて頂きませう。そんなこんなでbistroを含めて1,000円に収まる範囲で、どこまで気分だけは贅沢になれるか、これは試さんならんかと思つてゐるんですが、さて試して、どんな結果になるやら、さつぱり想像がつきません。