閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

487 本の話~予告篇

 過日、やうやく『梟の城』(司馬遼太郎/新潮文庫)を讀み了へた。耻づかしながら初讀である。

 久しぶりに、本当に久しぶりに、小説を讀む昂奮を存分に味はへた。

 率直に云つて手放しの賞讚は出來ないけれども、それはそれである。なので"本の話"で取り上げたいと思つた。併し取り上げるとして、はたと、どう書けばいいのか、困つた。

 

 ぜんたい、何故なのだらう。

 

 暫く考へ、何をどう面白がり、どこにどう不満を感じたのか、木下闇のやうに曖昧だからと気が附いて、我ながら驚いた。かうなつたのは、面白がりながら、或は違和感を覚えながら、錯綜する物語を、登場人物たちの行く末を、逸りながらも惜しみおしみ頁を捲つてゐたからで、詰り批評的な感想が丸で浮ばなかつたほど、夢中になつたのだと云つていい。本好き小説好きを自称する身からすると、こんなに幸福な時間は無かつたことになる。

 その一方、"本の話"で書かうとする(思ひ出すと司馬の本を取り上げるのは『空海の風景』以來になる)なら、これでは余りに無理がある。錯綜した物語を樂んだ気分を惑はされた余韻のまま書いたところで、支離滅裂にならなければその方が不思議であらう。

 

 も一ぺん、讀まう。

 

 先づさう決めた。それからこの長篇小説が描く時代について調べねばなるまいと思つた。書評であれば同時期の司馬の小説や諸々の忍者小説(たとへば山田風太郎)にも目を通すのが筋だらうが、"本の話"は書評ではない。十年もらへたら書評をものに出來る可能性はあるとして、この先十年生き永らへるかどうか、甚だ怪しいので、そこは諦める。諦めるのは書評の部分なので、念は押しておく。

 それで"本の話"で纏める前に、讀了した時点での感想を箇条書きに記す。後で同じことを書くやも知れないが、それは気にしない。

 

・物語の大筋は単純極まりない。

・そのくせ話は錯綜してゐる。

・男の我が儘と女の情念といふ対比。

・何重にもなつた対決。

・科白廻しの妙な生堅さ。

・長所も短所も後年の司馬に繋がつてゐさうに思へる。

 

同じことを書くかも知れないと云ひはしたものの、果してこれは本当だらうか。再讀の後はまつたくちがふ感想が浮んできさうにも思ふ。さう思ひつつ、今は終盤に溢れるこの科白が、この長篇小説を、またこの長篇小説の後の司馬遼太郎を貫く太い梁のやうに感じられると書き附けておかう。

 

 「おのれのいのちを顔料に、つきつめた生涯の絵を描こうと思うております」