閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

651 第十四師団が焼いた味

 本格的な中國料理好きに云はせたら、餃子はたつぷりした皮に、具を詰め込んだのを、ソップ…タンで食べるのが正しいさうだ。我われが云ふ主食…ごはんに当るからね。かういふひとに、おれは焼き餃子が好きなんだと云つたらきつと、えらい目にあふ。あれはタンで食べるのに余つたのを、次の日に使ふ調理法なのだよ、きみは知らないのかな、くらゐ云はれさうだ。八釜しい。こつちは焼き餃子が好きなんぢや、焼き餃子が。水餃子なぞは後廻しでかまはん。

 …失礼。昂奮しました。冷静に平和的に進めませう。

 餃子の原型については一度ざつとだが調べ、この手帖で以前に書いた記憶がある。面倒だから確めるのは省くとして、遡れば藥の一種だつたらしい。刻んだ藥草やら野菜やら肉やらを小麦の皮で包んで煮た…まあ原始的な藥菜と見立ててもいい。凍傷に効果があるとか、そんなだつたか。その形から耳の字を宛てた名前が附けられた筈だが、そこは記憶から抜け落ちてゐる。この藥菜を直接の原型と呼ぶのは流石に無理があるとして、適当な具を小麦の皮でくるんで煮る技法を、(水)餃子のプレ・ヒストリに置くのは不自然ではない。

 

 プレ・ヒストリ即ち前史。たとへばベルトは元々咒具だつた。バックルや孔の使ひ方で摩訶不思議な効能を發揮すると信じられたといふ。その咒具から咒が抜け落ちたのが、衣裳といふか、装飾物としてのベルトであつて、咒具として扱はれた時代を、ベルトのプレ・ヒストリと呼んでいい。どうです意外でせう。どこかで自慢し玉へ。

 日本で云へば、酥や酪、或は醍醐を挙げませうか。いづれも乳製品。チーズとクリームとバタの曖昧な辺りを漠然と指すらしい。我が國の乳製品史を俯瞰すると、中世から近代に到るまでに長大な断絶の期間があるのだが、現代の視点に立てば酥や酪や醍醐は、プレ・ヒストリにあたる。こちらは連續性が薄いから、特異な例と云へるか知ら。

 

 ところで中國料理は、今風に云へば概念の一種、が大袈裟なら漠然とした食べものの印象ではないか。似た言葉に中華料理があるでせう。その所為もあると思ふ。前者には伝統的な(清帝國以前に遡れる)、後者はに日本人の舌にあはせる調整や変更が施された感じがする。尤も両者は対立もせず、寧ろ混在してゐるから…日本式の逆輸入もあるし…話はどうにもややこしい。わたしの語感での話だから、文句を云はれても困りますよ。

 陳建民だつたと思ふ。日本人向けの中華料理の作り方を紹介した時に

 「この手順には嘘があります、だけどそれはいい嘘、美味しい嘘なのです」

と話したといふ。陳さんの頭にはスタンダードといふかオーソドックスといふか、トラッドな中國料理…陳さんの場合は四川料理…がちやんとあつたから、"いい嘘、美味しい嘘"が成り立つた。さてそれなら陳建民の料理は中國料理なのか中華料理なのかと考へるに、中國料理であつて中華料理であつて、またどちらでもないと曖昧に…厭みな禅坊主のやうに…応じざるを得ない。但しわたしとしては(四川人からは文句が出るだらうなきつと)、"いい嘘、美味しい嘘"の中華料理のプレ・ヒストリに四川の伝統を置きたく思ふ。

 

 話を餃子に戻しますよ。

 我が國で餃子と云へば、横濵や神戸の中華街より先に、宇都宮市聯想される。伝説では敗戰後、大陸から還つた兵隊が始めた商ひが最初と云はれる。筋としてはその通りだが、ちと大雑把に過ぎる。

 第十四師団といふ組織があつた。名前から想像出來るとほり、旧日本陸軍の一部で満洲に派遣された。この師団の本拠が宇都宮に置かれてゐたんですね。血腥い話はしたくないからその辺りは省略して、要するに除隊帰日した兵隊は本拠に戻つた。除隊したのだから給料は出なくなる。恩給はあるにせよ、それを待ち、それだけで喰ふのは無理な話である。兵隊に取られる前の商賣が出來るとも限らず

 「兎にも角にも稼いで喰はねばならん」

といふのは、かれらに共通した切實な悩みの種だつただらうとは容易に想像出來る。そこで元兵隊が目を附けたのが餃子であつた。らしい。

 ものの本によると、満洲で馴染んだ餃子を持ち帰つたとあるが、この点は多少怪しい。兵隊が餃子を食べなかつたとは思はないが、それは水餃子が主だつたのではないか。満州は中國大陸の東北部。地域によつては北海道より北に位置して詰りおそろしく寒い土地柄だと考へられる。骨を徹す寒夜に啜つた、ひと椀の熱い水餃子が忘れ難い味になつたとしても不思議ではない。もしかすると翌日の晝には、前夜に余つた餃子が焼かれて出てきたかも知れず、その意味ではお馴染みの味といふのは、をかしくなからうけれど。

 あれは旨かつたなあ。

 商ひにならんか知ら。

 敗残の兵隊が考へたとすれば、先づは水餃子で、直ぐさますりやあ無理だと諦めたらう。ごく分厚い皮を作るには、大量の小麦が必要になるし、ソップの準備も面倒だし、万が一にも賣れずに余つたら、もつと面倒になる。だつたら

 「最初から焼けばいい」

はしつこい兵隊が考へたか、宇都宮敗残兵友ノ會で議決したか、焼き餃子で商ひを始めた…といふのは無論わたしの妄想である。もつと意外な眞實があるかも知れない。何しろ関東の一部には、[餃子の満洲]といふチェーン店があつて、そこの焼き餃子はまあ食べられるから、満洲の餃子が實は、焼くのが主だつた可能性もある。[餃子の満洲]が公にしてゐる社史で、その辺りを触れてゐないのは残念だが、そこは目を瞑りませうか。第一わたしの舌に馴染んだ焼き餃子は[餃子の王将]と[大阪王将]なのだし。

 話が逸れさうですな、注意しなくちやあ。

 旧第十四師団の元兵隊が焼き餃子を作つて賣らうと思つたのには、小麦を減らし、具を減らし、いい加減な油と鐵板があれば、形だけは整ふからで、身も蓋も無く云へば、日錢を稼ぐ手段に過ぎなかつた。似た例が全國にあつたのは勿論だから、責めるには及ばない。それにその手抜きは寧ろ後世の我われにも具合がよくもあつた。端的に云つてその方がごはんに適ふからで

 「まーた、ごはんが出たな」

我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、呆れてはならない。この國で変化を遂げた外ツ國の食べものの悉くが"おかず化"であつたのは、實例を挙げるまでもないし、焼き餃子が例外にならう道理も無いといふものだ。[餃子の満洲]にせよ、[餃子の王将]にせよ、嬉しいのは餃子定食ではありませんか。

 かう云つたら、正しさの欠片も無いと厳格且つ本格的な中國料理好きは頭を抱へるんだらうな。なので更に"ごはんに適ふ食べものなら大体、酒席にも似合"ふことも強調しておきたい。麦酒か紹興酒だらうな、矢張り。この焼き餃子はつまみ乃至おかずの位置附けなのは勿論である。正統性といふか純粋性といふか、そこはさて措いて、實に日本的な変化だなあと思ふ。そこで気になるのは、宇都宮の敗兵が眞面目に水餃子を賣つてゐたら、もしかすると、我が國の餃子史は変つてゐたのだらうか。もちつと上品でエキゾチックな軽食…スープ・チャオズとかそんな名前が附けられたりして。それとも陳さんが水餃子の作り方を説明しながら

 「餃子がね、余つたつて平気ですよ。焼いて食べてもいいんだから」

と紹介して、結局は焼き餃子に収斂しただらうか。どちらにしたつて宇都宮市餃子町の様相は、現在と随分異なつたにちがひない。まあそれが、トラッドか変格の極みかは大した問題ではない。麦酒や紹興酒に適つて、ごはんとの相性が宜しければ、"いい嘘、美味しい嘘"なら、文句を附ける筋ではないといふものだし、第十四師団に縁のある人びとも、納得してくれるにちがひない。